2015年3月21日土曜日

3/18 人形の家に一歩前進二歩後退



というタイトルはもちろん比喩的な意味で、少しずつ先に進んでいるという事を伝えるつもりで書いていて、結果的に少しずつ後ろに下がっているのは、このブログにて何度も書いておりますが、相変わらずイプセンの人形の家の制度的な囲いから離れようとしていて、つまり、ごく普通の人形の家から離れてつつ、新たなやり方で人形の家を上演しようとしているこのクラスでは、二歩後退、という事のほうがしっくり来るのでした。


それに、実際の稽古でも、同じところを何度も何度も繰り返し、少しずつ修正、というか変化していく過程を村川さんは見ているわけですが、最近の稽古では主に序盤の30分程のシーンを繰り返ししつこく行って、どことなく定まらないまま、その定まらない宙吊りの時間を認めながら、最初のシーンからやり直し、というのはまさしく、一歩前進二歩後退といった感じでもありますが、どれだけ何度も繰り返して同じ言葉を稽古しても、上演はたった4ステージしかないのでした。


たった4ステージ、おそらく6時間から8時間ほどで終わってしまうその全公演のためにわざわざ1年もかけてああでもないこうでもないと進んだり戻ったりするその「演劇」の「稽古」というのは、ものすごく非効率で、目的地までまっすぐ進まず回り道をするように、進んだり戻ったり、あちこちとわき目を振っているわけですが、効率よくそつなくこなし、あ、なんか、よく練習しましたね、はい、と終わってしまうよりは、不思議に宙吊りされた時間の中で、相変わらず頭を抱えながら、イプセンの人形の家から外に出ようと稽古は続いています。




2015年3月15日日曜日

3/11 represent


「一枚の写真はたんに写真家がひとつの事件に遭遇した結果なのではない。写真を撮ること自体がひとつの事件であり、しかもつねに起こっていることに干渉したり、侵したり、無視したりする絶対的な権利をもったものなのである。私たちの状況感覚そのものが、今日ではカメラの介入によって明瞭になっている」


と「反解釈」という膨大な「解釈」の本を書いたスーザンソンタグの写真論をその稽古で思い出したのは、その日がART ZONEという中京区にある建物にて稽古が行われ、その真っ白の壁に等間隔で写真が飾られていたからなのかもしれないし、その日の稽古で行われたことが、被写体を思わせるようなノーラとそれを眺めるパパラッチのような距離感で、見る、ことが強調されているけれど、その、見ている目を、こちらからは見ることができない、というそれは、雑誌に掲載された生活感のないファッション誌の写真は見ることができても、それを捉えたカメラは見たことがないこと似ていたりします。


ソンタグは、写真について、それが現実におきた「ひとつの事件」で、その現実ありのままの事件に遭遇した結果なのではなく、「つねに起こっていることに干渉したり、侵したり、無視したりする絶対的な権利をもったものなのである」というのですが、それはつまり、この写真がもしかしたらイプセンの人形の家の稽古写真ではないかもしれないし、というか、この写真からわかることというのはせいぜい、四人の人がいて何かを読んでいる、といった程度の事しかわからないものの、実際の部屋の中にはもっとたくさんの人がいたのにも関わらず、この写真の撮り手は、それらのほかの人を「無視」し、2時間以上続けていたはずの稽古の中でこの瞬間以外の時間を「無視」し、この写真の上部に写る黒い天井と、床と、奥の壁以外の、ほかの3方向それぞれの壁を「無視」することができるカメラ=見つめる機械、というのは、四方の壁と天井と床の六面の板のうち、その3枚も無視することができるくらいには現実を代理(represent)して、現実の出来事を再現(represent)するわけではありません。





イプセンの人形の家を語るとき、例えば簡単にお金の話ね、とか、女の悲劇ね、とか、演劇の古典ね、とか、フェミニズムね、などなど、他にもたくさん読まれるべきはずの要素を持っている人形の家のディティールを「無視」しながら、その戯曲のテーマに「干渉」し、常套句によって「侵したり」する事で人はその作品を簡単な言葉で表現(represent)あるいは説明(represent)し、物知りを演じ(represent)たりするのですが、それと似たやり方で写真は撮られている、というか、写真に撮られた出来事を「見る」ことはテキストなどを「読む」ことに相当(represent)し、そこにある事=言という二つのコトを「侵し」、「無視し」、「干渉」せざるを得ないのかもしれませんが、このクラスで読まれている人形の家は、このクラス特有の読み方、捉え方で、今までに世界各国で何度も再演(represent)されたであろうこの「人形の家」の上演(represent)を目指しています。





2015年3月5日木曜日

2015/3/4 これは私が書いたのか?


梅毒に侵されたスウィフトが、病床でガリバー旅行記の音読を聞きながらそう言ったと伝えられているのですが、少なくとも書店で売られているガリバー旅行記には作者:ジョナサン・スウィフトと書かれてはいるのです。


とはいえ、自分が書いた文章なんかあっという間に忘れてしまう、とスウィフトとは次元が全く違うのですが、ここの記事で「12/10 女はみんな生きている」という記事の中でヴァギナモノローグについ
て書いていたことを忘れていたまま、この前の記事(2015/2/4 「       」)にて思わせぶりにそれのタイトルを引用したりして、私が書いたにもかかわらず、まったく覚えちゃいない、ホントに自分が書いたんだっけ? とスウィフトに比べて非常に小さな慎ましい規模で共感をしてはいるのですが、前回の記事からかれこれ1ヶ月も経っているのは、このブログの書き手が怠慢だったわけではなくて、なんやかんや、あれやこれやでお休みが続いてしまったからなのです。


そうして1ヶ月のお休みを過ぎて、再び始まった稽古は、人形の家、に帰ってきたのですが、そこで渡されたテキストは村川さんが修正を入れた「人形の家」でした。


イプセンがそれを読んだとき、これは私が書いたのか? あるいは これは私が書いたのに、 と言うかもしれないそのテキストについて、いったいどんな編集がされたのか、ここで全文掲載なんてことはしませんが、ここで全文掲載、なんて事が出来ないからこそ、そこで何が起きていたかを書き辛い! とエクスクラメーション付きで書いたりしてみるのですけど、そこで何が起きていたかなんて書きようがないなあとも思うのは、村川さんが稽古終わりに「喋ってない人は誰なんだ」と自問自答をしていた、そして受講生も応答なし、ということは、誰にもわかっていない何かが起きていた、という事なのかもしれません。



イプセンは人形の家について、いったいどんなつもりでそれを書いたのか、本人に直接聞くことは出来ないのですが、それでもどういうわけか、イプセンの人形の家、と言えば誰しも、色々な注釈に囲まれた制度的な人形の家の中でゆったりと、ああ、フェミニズムの、お金の話で、演劇の、あれだよね、うんうんと物知り顔で幾らでも、人形の家と言う制度の中で説明できてしまうわけですから、随分とわかりやすく要約できる、まだ未発見の謎を作り出していく作業としての数時間は、そんなにわかりやすい人形の家の前で、鍵を失くして途方に暮れるようにして、再び人形の家の稽古は始まったのですが、イプセンが書いたはずの言葉は、村川さんが書き換えて、それを稽古しながら村川さんが「わからない」と言う段階で、一体それは、誰によって書かれた「人形の家」であるのでしょうか。