2015年9月21日月曜日

「演出助手・制作助手」受講生 募集開始!

劇研アクターズラボ+村川拓也「ベチパー」
「演出助手・制作助手」受講生 募集開始!
演出家、村川拓也の作品制作の現場で、作品が出来上がる過程を体験していただけます。
1年間という期間の中で、上演作品の出来上がるプロセスを共有する機会です。
また、本番までの数ヶ月は、演出助手としての役割に加え、公演を行うための様々な制作的作業をNPO劇研スタッフと共に行い、演劇が上演されるまでの具体的な業務などを体験していただけます。
アクターズラボ公演クラスでの新たな募集です!
ご応募おまちしています!
・説明会
9月23日(水)18:30-
9月30日(水)18:00-
10月7日(水)18:00-
会場 左京西部いきいき市民活動センター
・プレワークショップ
2015年9月30日(水)19:00-21:00
会場 左京西部いきいき市民活動センター
・稽古開始
2015年10月7日(水)18:00-21:00
・公演予定
2016年9月23日(金)〜2016年9月25日(日)
小屋入り9月20日(火)〜9月25日(日)
(小屋入り期間での日程については応相談)
講座内容など
・テキストレジなど、台本作成の手伝い。
・稽古場ブログなどの更新(一部)
・その他講師の手伝いなど。
・当日制作の業務全般
など
・応募者は面接の上決定。
・定員を超える場合は抽選とさせていただきます。
指導・演出 村川拓也
稽古日 基本毎週水曜日
公演前3ヶ月頃から週2回(月曜、水曜日)
演出・制作部 募集人数 2-4名
受講料 5,000円(月額/公演積立金1,600円を含む)
初回に5,000円(宣伝費に充当)
説明会予約
受講をご希望の方は、説明会をご予約ください。
e-mail
labo・gekken.net(・を@に変更して送信ください)
件名:「村川クラス説明会予約|演出・制作コース」
本文: お名前/電話番号

2015年9月9日水曜日

9/10 補遺:その他のこと


あれやこれやと日々は過ぎ去って、ベチパー第一回公演「人形の家」は
おかげさまで多くのお客様にご来場いただき、盛況の中終了することができました。



今月末には2期の説明会、10月からは来年の公演に向けた稽古が始まります。


あっという間の4ステージでしたが、受講生共々、たくさんの方に観劇いただけたことを嬉しく思っております。

このブログはなるべく早くひとつの長い長い文章としてワードにまとめつつ、まだ書ききれていない本番のことなどを補遺として、アクターズラボのサイトに残す予定で、せっかく公演が終わったばかりなのですが、えっちらおっちら、誤字脱字を修正したり加筆したり削除したりとまだまだ人形の家は終わった感じがしませんが、なんにせよ、ちょっとだけ休憩です。



ご来場、本当にありがとうございました。












2015年9月3日木曜日

8/31 イプセン「人形の家」

いよいよ明日から開演します、ベチパー「人形の家」

おかげさまで明日の19時の回は満席となりましたが、当日券を若干枚ですがご用意いたします。
また、日曜日も席数は残り僅かになっておりますが、土曜日はどちらの回もお席に余裕がございます。

皆様のご来場、こころよりお待ちしております。


さて、人形の家は自然主義リアリズムの演劇として多くの人に読まれてきたはずですが、ノルウェーに住むある夫婦の家、夫である弁護士ヘルメルと共に幸せな生活を続けるノラのもとに、ヘルメルの部下、クロークスタットが訪れるのだが、クロークスタットはヘルメルに疎まれ、解雇される予定になっているという状況をどうにかしてくれないか、と、妻のノラに頼みに来るとともに、かつてヘルメルが病床に伏した際、ノラはクロークスタットから借金をしたのだが、 ノラは借金の借用証に書くべき父のサインを捏造していて、 その事実を知るクロークスタットは、解雇を取り消さなければ、借用証書の捏造の事実をヘルメルに暴露すると、ノラを脅迫する。


ノラはヘルメルにクロークスタットの解雇を取り消すよう頼むが取り合ってもらえず、 代わりにヘルメルがリンネ夫人を雇うことを宣言してしまうと解雇通知をクロークスタットの元に送り、それを受け取ったクロークスタットは、ヘルメルにノラの悪事を暴露する手紙を書き、その手紙を読むヘルメルは慄き、そしてノラを罵倒する。


一方、かつての恋人であるリンネと再会したクロークスタットは再び、リンネとともに生きていくことを約束すると、やがて改心し、借用証書に謝罪の言葉を添えノラに返す。

その謝罪の手紙を読むヘルメルは安堵し、これで不安がなくなった、とノラと喜び合おうとするのだが、ノラの心はすでに覚悟を決めていた、


という大体のあらすじ、ですが、どちらかといえば、というか、どう考えても、はっきりと、メロドラマだ、と思うのですが、こんな限りなくドラマチックな「人形の家」のことを、どういうわけか、いつも、社会派、フェミニズム、自然主義、などなどと語られ、むしろロマン主義のメロドラマ的ではないか、と思いつつ、それはもちろん、自然主義的な小説の代表者として呼ばれるフローベールの「ボヴァリー夫人」などももちろんそのうちの一つ、というか、より輪をかけてメロドラマ的な性質を抱えていたりするのだけれど、かつての恋人、夫の病気、叶わぬ恋、崩壊することによってしかわかることのない幸せと不幸せ、などなど、細かく切り刻めばあちこちに、ドラマの、メロドラマ、のフラグメントが散らかっています。


ところで、あなたは「ボヴァリー夫人」を知っているだろうか。
そしてあなたは「人形の家」を知っているだろうか。

8/26 劇研アクターズラボ

劇研アクターズラボはNPO劇研が主催する、総合的な演劇研修の場です。
舞台芸術がより豊かで楽しいものとなることを目指して、さまざまなカリキュラムを用意しています。
全くの初心者から、ベテランまで、その目的に応じてご参加いただくことができます。
現在、京都と高槻を拠点に、アクターズラボは展開中です。


と、アクターズラボのページを開くとそこにはこんな風に書いてあるのですが、はたして、今回のクラスが、「総合的な演劇研修」という言葉に適していたのかどうか、というのは実のところよくわからず、それというのも村川拓也さんの普段の演劇公演が「総合的な演劇研修」からかけ離れた、いわば、反=演劇として成り立つような、反=演劇、であるからこその演劇ですらあるような上演が、そこからの距離感によってむしろ「演劇とは何か」という疑問を引き出すような、例えばエヴェレットゴーストラインズという作品などにおいて、それが「総合的な演劇研修」に繋がらないことによって、もしかしたらそれは「演劇とは何か」という疑問とともに進む稽古の中で、どうしたって演劇について考えることを強いられる、という、もしかしたら何よりもストイックで厳しい反=演劇研修の場として機能していたのかもしれませんが、実は今、小屋入り中の最中にブログを更新していて、しかし劇場には受講生はおらず、別会場にて明日の本番を前に稽古を続けています。


本番は間も無くです。
皆様のご来場、こころよりお待ちしています。


2015年8月26日水曜日

8/24 「人形の家」の制作の楽しみです

劇研アクターズラボ+村川拓也『人形の家』が、もうすぐ劇研にて上演されます。

9月4日(金)~6日(日)、村川拓也さんの演出による『人形の家』ですが、1879年、ヘンリック・イプセンによって書かれた古典的名作を、1年間の稽古を経た10名の若い俳優たち(中には高校生が、3人!)と、「エヴェレットゴーストラインズ」や「ツァイトゲーバー」などなど、ドキュメンタリー的手法によって様々な作品を上演してきた村川さんによる《戯曲》の上演、ということで、稽古にほぼ付きっきりの制作としては、すでに「面白い!」と言いたくなってしまいます。

が、まだ初日も開けていない演劇を「面白い!」というのはおかしい。それは、ご飯を食べる前から「美味しい!」と言うのと変りありません。正しくは【美味しそう】と言うべきです。メニューを見ながら「美味しい」、とは言ってはいけません。

それでもなお、制作として稽古場に居続けられる特権として、稽古場で面白いシーンのつまみ食いをしていると、まだテーブルに出される前の、調理途中の料理を味見しながら、美味しい! と言うことのように、劇研で上演される前の色々な魅力的な断片に、いちいち、面白い! と言うことが出来るのです。

ぜひみなさまに当公演をご覧いただきたいと思っています。
絵に描いた餅より、醤油的なもので味付けした餅の方が食べた時に美味しいです。
台本に書かれた台詞は絵に描いた餅です。公演紹介文も絵に描いた餅です。食べて「美味しい!」と唸ってください。

お誘い合わせの上、ぜひともご来場くださいませ。
皆様のご来場、こころよりお待ち申し上げます。

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劇研アクターズラボ+村川拓也
ベチパー 『人形の家』
2015年 9月4日(金)~6日(日)
9月4日(金) 19:00
9月5日(土) 15:00/19:00
9月6日(日) 15:00
料金 
一般 1,800円(前売、当日とも)
学生・ラボ受講生1,300(要学生証)
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ご予約どんどんお待ちしています!

2015年8月20日木曜日

8/19 京都新聞にて情報が掲載されます!


8月28日の京都新聞夕刊にて、今回の劇研アクターズラボ+村川拓也 ベチパー 「人形の家」の公演情報が掲載される予定です!


第一回公演にしてすでにこんな風に取り上げていただけるということで、本当に感謝感謝です。

受講生もラストスパートで稽古を進めつつ、いろいろな大学などにチラシを配ってくれたりしています。


本番に向けて受講生の頑張りが少しずつみなさんにも伝わっているのかもしれません。


ぜひともみなさん、小さい記事かもしれませんが、8月28日の京都新聞をお楽しみに!
皆様のご来場、こころよりお待ちしております!


http://www.gekken.net/actorslabo/cn31/murakawa.html

8/17 スタッフ見せでした。



いよいよ、というか、随分前から初日まで残り一ヶ月を切っていたわけですが、この日初めてスタッフにみなさんが揃っての、本番さながら、と言っても最後まで通し稽古をしたわけではないですが、とにかく本番のような緊張感の中で、スタッフ見せ、というのはつまりスタッフの皆さんにどんな公演になるかを見てもらい、本番の準備を進める、ということで、つまり普段は受講生と村川さんしかいない稽古場に、たくさんの大人が集まって通し稽古を見る、という、公演前の出来事としては普通のことではあるのですが、なんとも独特の緊張感でスタッフ見せは始まったのでした。



書き手はスタッフの皆さんとともに稽古の途中から稽古場に来たためそれまでにどんなことをやっていたのかも知らないのですが、とにかく、いつもと違う人たちがいる稽古場とにて受講生たちは、ただただ、そわそわ、というか、そわっそわ、しておりまして、あ、今日は、大丈夫か? ダメか? 緊張してるな、大丈夫か? あ、ダメ、かも、と始まる前は思っていたのですが、なんとなく始まってみたら、あ、大丈夫、かも、あ、なんか良いかも、しれないけど、お、お? おお、なんか、良いじゃん、いつもより良いじゃんなんとなく上手くいってるじゃんなんだ安心したと思った時に、あ、あいつ間違えた、とかちょっとした間違いとかはあったりするのですが、アクターズラボに集まった若くて未熟な出演者たち、なんかではなくて、とっても面白い芝居をする団体の通し稽古、という感じでとっても安心したわけで、しかし、終わってからスタッフの皆さんの感想とかを聞き忘れてしまったので、それがどんな感想だったか、などをみなさんにお伝えすることができないので、是非とも皆さん、劇場に足をお運びください。



皆様のご来場、こころよりお待ちしております!

劇研アクターズラボ+村川拓也 「人形の家」
2015年 9月4日(金)~6日(日)
9月4日(金) 19:00
9月5日(土) 15:00/19:00
9月6日(日) 15:00
料金 
一般 1,800円(前売、当日とも)
学生・ラボ受講生1,300(要学生証)


http://www.gekken.net/actorslabo/cn31/murakawa.html

8/12 ご予約まだまだ受け付け中です。



今日は10ヶ月前の稽古風景の文章を掲載します。
10ヶ月前からこのクラスでは人形の家を使って稽古をしていました。


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10/29 イプセンの、人形の家?

アクターズラボは基本的に、講師が書いたオリジナルテキストでの上演がほとんどなのですが、今回の講師である村川拓也さんは、劇作家、という肩書きは持っていません。


それでもアクターズラボらしく、今回は、台詞を声に出して読んでみる、という稽古が行われました。
題材になったのは、イプセンの人形の家、その最後の数ページを出演者たちが分担して読むというような稽古が行われました。
何とも演劇らしい、演劇的、というか、演劇チックつまり演劇っぽい読み合わせが終わった後で村川さんからあった指示が、台詞の意味とかシチュエーションとかを考えず、面白く読んでください、というようなことでした。


村川さんは人形の家をよく知らないそうです。そしてそれを読み上げる受講生も、誰一人として読んだ事がないそうです。
それでも、演劇のテキストを持って、それを読んでくださいと言われると、どうしてもいわゆる演劇的な読み方を出来てしまうのですが、演劇「的」であるという事は、きっと、演劇ではない、という事でもあるのかもしれません。
もちろんその後はイプセンとはほど遠い読み方(笑いながらとか、口を開けずに喋ったり、語尾が聞こえなくなっていったり)で声にされると、むしろ演劇どころか、歌でもないし、落語でもないし、音読でもないし、漫才でもないし、と、何処にも属していない声が稽古場で話されました。


いったいそれがどんな風に演劇「的」な所から離れていくのか、そしてどんな風に演劇になっていくのか、その結果は来年の今頃、アトリエ劇研で上演されます。
いまから気の早い宣伝ですが、劇場でお待ちしています。

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そもそも、受講生のなかでほぼ誰も人形の家を読んだことがなかった、というところから始まっている! ということに驚きですが、今日も人形の家の稽古は進んでいます!

劇研アクターズラボ+村川拓也 「人形の家」
2015年 9月4日(金)~6日(日)

9月4日(金) 19:00
9月5日(土) 15:00/19:00
9月6日(日) 15:00

料金 
一般 1,800円(前売、当日とも)
学生・ラボ受講生1,300(要学生証)

http://www.gekken.net/actorslabo/cn31/murakawa.html

2015年8月13日木曜日

8/10 猫写/描写


「猫の尻尾ばかりを細部まで丹念に描いて全体の構図やバランスがおかしくなってしまうような絵の書き方」という猫の写生の比喩について、それを思い出せなかった、ということから、次回、ということにしてそれまでに調べてくるつもりだったのに、まさしく、それを調べるのすら思い出せなかった書き手は、セリフを覚えきれていない受講生に「頑張ってセリフを覚えてね!」とか言ったりする資格は無い! ということかもしれませんが、セリフを覚えなければ演劇にはなら無いので、受講生の皆さん、頑張りましょう!


とはいえ、セリフを覚えることもなかなか大変ではありますが、そもそも、「人形の家」のあらすじなどはいくらでも検索で出てくるわけで、わざわざ覚えなくても、誰もが知っている、と言っても過言では無いような「人形の家」を上演することは、簡単に要約してしまえば、これから何が起きるのだろうか、という「謎」をほのめかすような、何が起きるかわからない、というミステリー的な発想のようなことが出来ないという事かもしれません。


しかし、今回の稽古の中で不意に思い出した(というか、思い出しそびれている)、《猫の尻尾ばかりを細部まで丹念に描いて》いくことで狂った細部の全体像が出来上がる、というのは、具体的に書きすぎる事によって、むしろそこにあるものの意味がわからなくなる、過ぎたるは及ばざる、という事でしょうけど、本当に小さな一つ一つの出来事に丹念に見続けこだわり続け村川さんの演出による、誰しもが知っているはずの、外に出て行く女性を描いた「人形の家」の稽古について、前回「どんな風にこの「人形の家」が完成されるのか」わからない、と、と書きましたが、よく考えれば、終わり方は他でもない台本に書いてあって、それこそ、誰でも知っているラストシーンのはずなのに、なぜ稽古場では、その終わり方がわからなくなってしまうのでしょうか。


謎をほのめかし、最後に種明かしをする、という「未知→既知」という方向性ではなく、知っているはずなのにそれについて理解ができない状態への、「未知←既知」という、つまり、「知っていることが、わからなくなる」という作業が続く人形の家は、例えばサミュエルベケットの小説のいつまでも続く描写のように、あるいは電化製品についてくる膨大な量の説明書のように、それ自体について、わかっているはずなのに、わからなくなっていく、という、狂ったパースの不思議な魅力を携えながら、人形の家を見つめたままの後ろ歩きを続けています。

2015年8月12日水曜日

8/5 以上の4点から、私たちは《外》に出ることを、


《以上の4点から、私たちは《外》に出ることを、イプセンの「人形の家」を通じ、目論み、実践しようとしている、ということが今回の趣旨、というか、このブログで《制度》とか《関節外し》とかいう言葉で書いてきたことを一回まとめるとこんな感じになるのだと思うのですが、佳境に差し掛かる稽古場では、そういったコンセプトをさらに超えるような、それこそ、自分たちで考えたことからさらに《外に出る》ことを目論むような稽古が、日々進んでいるのでした。》



と前回のブログで書いてはみたものの、実際の《佳境に差し掛かる稽古場では》すんなりと何かを乗り越えたり出来たわけではなく、前に進むのでもなく、むしろセリフがあやふやだったり、前にやったことを忘れてたり、前にやったこととは違う事を始めたりして、同じ場所をぐるぐると回っているような稽古が日々繰り返されています。



ほんの一歩の足の運びを何度も何度もやり直したり、どの方向に歩き始めるのがもっとも正しいのかわからないので思いつく方向への歩みを全て試してみる、というような稽古を繰り返している最中の「人形の家」ですが、その細かさは「重箱の隅をつつくような」といった言い方も勿論あるかもしれませんが、どちらかといえば、と、ここまで書いて一切思い出せない、中国にあるはずの「猫の尻尾ばかりを細部まで丹念に描いて全体の構図やバランスがおかしくなってしまうような絵の書き方」を指す短い言葉について、全く思い出せず検索しても出てこないので、一旦家に帰って思い出してから続きを書く事にするつもりで、代わりに何を書くのかというと、ついさっき、受講生から教えてもらったのですが、稽古は、残り、12回らしく、まだまだご予約お待ちしていますが、実は、まだ、どんな風にこの「人形の家」が完成されるのか、なんと村川さんもわかっていないのかもしれない! という、まさしくまだ尻尾の方しか見えていない今回のラボですが、皆様、是非ともお楽しみに!。


受講生の皆さん、ラストスパート頑張りましょう!

2015年8月8日土曜日

8/3 ちょっとだけおさらい



というのも、今まで何かとブログを書いてきたわけですが、そろそろ稽古も佳境になってきているので、つまり村川拓也クラスにて上演される人形の家とはどういうものか、ということをちょっとおさらいしてみようと思うのです。


『人形の家』(にんぎょうのいえ、Et Dukkehjem)は、1879年にヘンリック・イプセンによって書かれた戯曲。同年、デンマーク王立劇場で上演された。弁護士ヘルメルの妻ノラ(ノーラ)を主人公とし、新たな時代の女性の姿を世に示した物語。全3幕。

世界的にイプセンの代表作とされている。この作品(あるいは前作の『社会の柱』)をもってイプセンの社会劇の始まりと見なすのが一般的であり、彼はこの後ほぼ2年に1作のペースで作品を書き上げることになる。しばしばフェミニズム運動の勃興とともに語られる作品であり、この作品の成功がイプセンを一躍世界的な劇作家とした。

Wikipedia「人形の家」より



《新たな時代の女性の姿》の象徴として、《家の外に出る》主人公のノーラの振る舞いに注目した今回の上演は、《外に出る》ということを、具体的な行為や出来事としてではなく、抽象的なものからの《脱出》として捉えるところから始まりました。



その《外》に出るための、今私たちがいる《内》というものについて、演出の村川さんは、あらゆる《イプセンの「人形の家」的》な言説から脱出することや、演劇を上演するということからの脱出などについて語り、それは演劇が持っている制度や、《分厚い力(太田省吾)》などから外に出るということが目論まれています。


 稽古風景  (稽古場ブログ:「3/11 represent」より)

つまり、私たちは

     フェミニズム、古典テキスト、金銭問題など、様々に容易く語る事が可能になってしまう、そして語り直され続けてきた「人形の家」と呼ばれるものの枠組み

     それを上演するための「正しい」とされるような方法や、ごく当たり前に、演劇とはこのように行われるだろうという認識

     放っておけば劇は《劇的》にむかってしまう、という劇的素材と劇的方法によって出来上がる構造


     「演劇ができるようになる」というための、新しい訓練の場所としての場所を構築するために、俳優修行、つまり「演技ができるようになる」という場所


以上の4点から、私たちは《外》に出ることを、イプセンの「人形の家」を通じ、目論み、実践しようとしている、ということが今回の趣旨、というか、このブログで《制度》とか《関節外し》とかいう言葉で書いてきたことを一回まとめるとこんな感じになるのだと思うのですが、佳境に差し掛かる稽古場では、そういったコンセプトをさらに超えるような、それこそ、自分たちで考えたことからさらに《外に出る》ことを目論むような稽古が、日々進んでいるのでした。


2015年8月2日日曜日

7/29 今まで書いたもの


というのも、実は稽古のたびにブログを書いておりますが、もちろんその毎回毎回に何か画期的な発見やとんでもない問題などが立て続けに起きるような、そんな劇的な事はもちろんないわけで、どちらかといえばもはや普通に日々の生活の一つとして、週に二回とか、今はそれ以上ですが、当たり前のように稽古がある、という事が続くと、それはもう普通に生きてるという事ですし、第一、例えば太田省吾という劇作家が「劇は放っておけば劇的になろうとする」と言いましたが、まさしく、そんな「劇」から半歩だけ外に出るようなやり方へ向かう今回の「人形の家」の稽古は、いわゆる「劇的なるもの」をちょっとだけ避けて「劇」が「放っておけば劇的になろうとする」事について(それを「分厚い力」と確か書いていましたが)考えるような稽古として、小さな発見の繰り返し、わずかな変化に敏感に反応し続けるような進み方ですので、それを書くのが、難しい、という事なのですが、今までも色々書いてきましたし、その中からアクセス数が多かった幾つかの記事を今回は紹介する事にしました。

3/11 represent
とにかく一番アクセス数が多いです。
写真についてなどを写真を交えながら書いています。

7/20-7/22 劇場に初めて来る人へ
リツイート数が多かったのでそうなったのだと思います。
今回初めて劇場に来るお客さんへ

2014/10/29 イプセン、人形の家?
この記事の中でもすでに宣伝が始まっております。


本番は9/4-9/6 アトリエ劇研にて全4ステージです。
皆さんのご来場、こころよりお待ちしています!

7/27 特に何もなく



これといった問題らしい問題などがここ最近の稽古ではあまりなく、というか、最近は村川さんを交えた自主的な稽古がガンガンに行われているため、もはや稽古の動向が全く追えていなく、突き詰めていえば、よくわからない、といった状況なのですけれど、例えばそれは、この団体がいわば「団体」として自立しているのだ! ということなのかもしれません。


劇研アクターズラボは俳優修行の場所であり、それでその公演はもしかしたら発表会に似た空気を帯びてしまうものなのかもしれませんが、とはいえ、最終的には「お客さん」の前で出演者たちは公演を行うわけですし、広報とか、チラシ作成とか、やっていることは普通の劇団と変わらないので、最終的に、誰がどんな風に思おうと。これはれっきとした演劇公演なのです。


そうなると、やっぱり色々と大変なことはあるわけで、ここから公演に向けたいろんな面倒なことが起き続けてくるだろうと、なんとなく予想されるし、それに、演劇に初めて関わる、という人も多いこのクラスでは、予測不能な色々な出来事に、アクセクとどうにか関わっていってもらわなければなりません。


とはいえ、なんだか知らないうちに稽古がガンガン進んでいて、気がつけばみんなそれなりに台詞も覚えているし、なんとなく、大丈夫かもなあ、なんて気軽に考えたりしているのですが、この辺からいろんな大変な事が目白押しになってくるので、暑いし、受講生の皆さんには体調管理とかしっかりして欲しいと思うのでした。

2015年7月23日木曜日

7/20-7/22 劇場に初めて来る人へ


佐伯隆幸、という演劇批評家がいます。その人は劇場を「都市の病理」と言いました。


劇研アクターズラボ+村川拓也 ベチパーの人形の家ですが、出演者の多くは学生で、また、今回が初舞台という人もちらほらおりますので、もしかしたら、そんな出演者の誰かから誘われて、初めて演劇を、しかも小劇場で、しかも古典的なテキストを、さらに現代的な演劇の方法で、となると、二の足を踏んでしまっている方がいるかもしれないかもしれません。なので今回は趣向を変え演劇を見ることにためらっている方へ。

劇場を、怖いところ、と思う人は今どき少ないかもしれませんが、実は劇場は怖いところです。
多くの場合、劇場の壁に窓はありません。それに上演中は大抵、入り口のドアは閉められていますから、劇場は外から隔離された場所、隠された場所、そしてもしかしたら、隠さなければならない場所かもしれません。
もしかしたら劇場に来たことがない皆さんが知らないうちに、見ちゃいけないようなことが起きていたかもしれないし、とんでもない驚くようなこと、皆さんが見たこともないようなすごいことが起きていたかもしれないけれど、残念ながら、上演は四方を壁に囲まれて、都市の中で隔離された小さな場所だけで行われます。
劇場の外から、劇場の中は見えません。外からは何が起きてるかわからないところで、皆さんが見たことがない、よくわからないハチャメチャなことが起きる可能性がいつもそこにあります。なにせ「都市の病理」ですから、普通とは違う、違和感ばかりがそこにはあるかもしれません。


今時の演劇はよく分からないし、それは自分の頭が悪いんじゃないか、なんて思ってしまう人は以外と多いようですが、是非ともそんなことは気にせず見に来て欲しいと思います。
稽古場で村川さんは、よく分からんけどおもしろい、と時々口にしていますから、ぜひ観客席の皆さんも、よくわからない、と小さな声でつぶやいてください。
そして、よくわからなくても面白いものは沢山ある、とちょっと気楽になってみてください。
《12345679》に一桁の好きな数字を掛け算して、それに9をもう一度掛け算すると、選んだ数がずらっと並びます。電卓でぜひ試してください。理由はわかりませんがちょっとだけ楽しいです。
12345679 × 5 × 9 = 555555555 になります。理由は知らないので調べてください。多分すごく難しいです。でも、わからないことに驚いて、難しいことを考える、というのも演劇の楽しみの一つです。



演劇を難しいんじゃないかと思う人は多いと思います。
まさしくその通り、演劇は難しいものですから、難しそうで嫌だなあと思う人こそ見に来て欲しいと思います。
ギリシャ悲劇の話からすれば3000年近くも遡らなければなりません。それだけ長い歴史の中で、ああでもない、こうでもないと、本当にたくさんのほとが演劇について考え、書いたり、演出したり、感想を言い合ったりして育まれてきました。

ちなみに、言うまでもないことですが、3000年の長い長い歴史の中で、一番多かったのは演出家でも俳優でも劇作家でもなく、それを見ていた観客の皆さんです。演劇は、やる人と、それを支える人と、見る人でやっと出来上がります。


受講生は9月の本番の為に、というか、ということは、見に来てくれる皆さんのために最近は6時間くらいずーっと稽古をしていますが、やっぱり見に来てくれる皆さんがいないとどうしようもありません。
なので、皆さんのご来場、こころよりお待ちしています!


http://www.gekken.net/actorslabo/cn31/murakawa.html

2015年7月16日木曜日

7/15 そわそわしました



なんというかとにかく、そわそわ、というか、はらはら、といった感じでして、村川さんの稽古の特徴、というか、よく起きること、という方が正しいような気がするのですが、何かというと村川さんは急に長い時間、黙り、受講生達はそれを、待つ、という状況が頻発しつつ、今回の受講生の皆さんはそれに慣れてきたのか、もともとそういった待つ時間に慣れているのかわかりませんが、まあ、普通に待ってくれていて、エアコンの音や外を走る車の音がよく聞こえてくるそんな時間は、例えば初対面の人と二人っきりの個室だったりすればまさしく堪え難い時間ではありますが、そういった時間に村川さんが何を考えているのかは普段はあまり判らず、口を開けば「なるほど!」と、膝を打つような答えを教えてくれるというよりは、受講生と同じように人形の家のテキストの上で同じように迷っている、という感じなので、講師というよりむしろ誰よりも率先して道に迷うベチパーの一員のような作品への取り組み方で日々稽古は進むのですが、今回アトリエ劇研で初めて稽古をしてみて、今、かなり深い場所で道に迷っているのでは? しかも、村川さんだけでなく、自分を含めてこのクラスの全員で! と思ってしまうような稽古になったのはつまり単純に、今までの狭い場所でやっていたことが広い空間で改めてやるとなんだか全然感じが違って、おお、これは! と、なんというかとにかく、そわそわ、というか、はらはら、といった感じでして、村川さんの稽古の特徴、というか、演劇の稽古は数十分の上演時間のために何ヶ月も稽古を積み重ねるのでそれは演劇の特徴なのかもしれませんが、昨日の稽古は開始2分くらいのシーンを、いったいどんな新しい方法で出来るんだろうか、ということのために、何度も何度も、同じことの繰り返しとしての稽古が進み、実は本番まで50日くらいしかないのに、大丈夫だろうか、と、なんというかとにかく、そわそわ、というか、はらはら、といった感じでして、村川さんの稽古の特徴、ではないのかもしれませんが、とにかくその場で起きることについて考え、やってみて、ダメだったり良かったり、と、まっすぐな遠回りと言いましょうか真面目な道草と言いましょうか、その場で発見された新しいアイデアをやってみては別のことを始め、その迂回の途中に現れる新しさの萌芽は、なんというかとにかく、そわそわ、というか、はらはら、というか、わくわくしてくることもあったりするのですけど、そのわくわくはまだ可能性として、思いもよらない道草の可能性とともに取り返しのつかないような迷路の途中、という可能性もあったりするのかもしれませんが、なんというかとにかく、そわそわ、というか、はらはら、といった感じとはまるで無関係のように、受講生は「私劇研のホールに入るの初めてなんですー」とそんな話をしていたりおもむろにサンドイッチを食べ初めて劇場で飲食はちょっとアレですのでとエントランスに出てもらったり客席の椅子を重ねて積む時に結構荒っぽく扱ったりするものですから、なんというかとにかく、そわそわ、というか、はらはら、といった感じでして、とにかくそんなあっけらかんとした受講生達とじっくりテキストに向かう村川さんのなんとも不思議なバランスをとりながら、迷いながら、新しいことを初めては、やっぱりそれについてまた悩んで、と、同じことの繰り返しとして、初めての劇研6時間稽古はまずは終わったのでした。

2015年7月15日水曜日

7/13 稽古再開しました


劇研アクターズラボ+村川拓也、ベチパー稽古再開!


と大々的に始まりたいところですが、7月12日の稽古で何をしたかというと、今後の自主稽古、と言っても村川さんも普通に参加するので追加稽古ということでしょうけれど、稽古日程を作るだけで二時間かかってしまいましたので、エクスクラメーションマークなんかをつけて「いよいよ再開!」となるのは本日13日からとなりそうですが、稽古日程を作るのも二時間ぐらいは当たり前にかかってしまうのも仕方がないことなのは、今回の受講生は10人、それぞれ働いていたり他の団体の公演に出演していたり学校に行っていたりとか、とにかく人がたくさん集まる場所でなにかを決めるのも大変なことなのでした。


何はともあれ講師の村川拓也さんの本公演、エヴェレットゴーストラインズも終了し、今回の受講生もそれぞれ見に行っていたらしいのですけれど、芸術センターの公演を見に来てくれたお客様の皆さんには、ぜひ今回の劇研公演にもご来場いただきたいなあと思うのは、ドキュメンタリー的な手法で、演劇らしい方法から積極的に離れようとするようなエヴェレットゴーストラインズとは反し、というか、露骨に演劇的な「戯曲」を使用して上演される今回の「人形の家」にとって、その「戯曲」はそれがあるからこその人形の家であるとはいえども、戯曲を使用する、というのは上演にとって、極端に言えば「戯曲」こそが演劇にとって不自由で深刻な足枷になってしまうということも往々にしてあり、端的に「エヴェレットゴーストラインズ」と「人形の家」が持っている自由の尺度というか、演劇であることの不自由を観客席でぜひ体感してほしいと思うのでした。


もちろんそれは、自由にその作品を読むことができる、そして今の時代においてテキストは自由に読まなければならない、というそれ自体が「自由であれ!」という命令=不自由であることすら内包したテキストに挑戦することになる「人形の家」の稽古はいよいよ再開で、この記事を書いている7月15日の夜はアトリエ劇研にて稽古が行われる予定になっていますので、受講生の皆さんにはちゃんとメールもしましたが、ぜひ会場を間違えず、暑いし、いつもよりちょっと遠いけど、なんとか劇研までたどり着いてほしいと思うのでした。

2015年7月2日木曜日

6/29 京都芸術センター『エヴェレット ゴーストラインズ  4バージョン連続上演」


いよいよ人形の家のチケットも発売し、これからどんどん宣伝! と意気込んでいるところで急に関係のない話題、というわけではないのですが、このクラスの講師である村川拓也さんの公演が、京都芸術センターにて上演されます。


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『エヴェレット ゴーストラインズ  4バージョン連続上演」

【日時】 2015年 7月10日(金)-7月12日(日)


10日(金)19:30 ver. A「赤紙」
11日(土)19:30 ver. B「顔」
12日(日)14:00 ver. C「記録」
     17:00 ver. D「集団」

※受付、開場は開演の15分前。

【会場】 京都芸術センター フリースペース
【料金】 前売・当日共に2,000円(全席自由)
     ※半券提示+500円で別バージョンの観劇ができます。


【チケット取扱】 メール予約   tommy@chikin-base.com
         ウェブサイト チケット予約フォーム
         京都芸術センター(10:00-20:00)窓口販売のみ 


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前作のエヴェレット ゴーストラインズでは、演出家が本番の事前に30人程度の人々に、指示が書かれた手紙を送るという事が行われ、さらに、手紙を受け取った人々はこの指示に従うか従わないかの選択は本人の意思に委ねられている。必ず従わなくても良い。もし指示に従わない場合は、当日劇場に来なくてもいいというルールのもと、何かしらの出来事を起こそう、そのための物語や演出や細工やトリックやテクニックなど、そういった「関与」を最小限に抑え、何かしらの「影響」を及ぼす事を極限まで抑えようとしたそれは、まさしくヒュー・エヴェレットが専門にした量子力学が失敗した二重スリット実験の結果のように、観察されない、そこに見る事のできない状態の可能性は、最後まで可能性として論じるしかなく、観測結果が得られるためには、実験器具や方法などの「関与」がなければ観測できず、その観測結果は、観測方法に左右されてしまう、つまり、道具の関与によって結果が変わってしまう事が浮き彫りになったそれのように、まさしく「関与」と「観察」による臨床的/科学的な公演だったのですが、今回はその『エヴェレット ゴーストラインズ』が持っていた、手紙という唯一の「関与」の方法をさらに突き放す「4バージョン連続上演」という新しい方法によって、関与を最小限に抑えるのではなく、積極的に関与の方法を模索する、『エヴェレット ゴーストラインズ』が《エヴェレット ゴーストラインズ》の核となる方法を否定し更新する新しい上演になっています!

村川ラボの公演前に、新作/再演の狭間で軋む村川拓也によるぜひぜひお見逃しなく!

【エヴェレット ゴーストラインズ webページ】 http://e-g-l.jimdo.com






6/24 講師:村川拓也おさらい/エヴェレットゴーストラインズおさらい


前に人形の家のおさらいを、リンクを貼るという簡単さで、まるでおさらいが終わりました、というように逃げてしまったわけですが、もちろん、内容を知らずに演劇を見たい、という人への配慮なんかもあって、もちろんそのあらすじを知っていようが知らずにいようが、本番は間違いなく面白い! と自信を持って言えるのですが、それはともかく、講師の村川拓也さんのプロフィールを書いていない、ということに気がつき、今回はプロフィールをアクターズラボのサイトから転用したいと思います。


村川拓也
演出家・映像作家。
1982 年生まれ。2005 年、京都造形芸術大学卒業。2009 年まで、地点に演出助手として所属。独立後は演出家として活動を開始し、ドキュメンタリーやフィールドワークの手法を用いた作品を様々な分野で発表している。主な作品に 、『ツァイトゲーバー』 ( F/T11 公募プログラム、大阪市立芸術創造館/2011、2012) 、ドキュメンタリー映画『沖へ』 (2012)、『言葉』(F/T12 主催プログラム)、AAF リージョナル・シアター2013『羅生門』(2013) 、『エヴェレットラインズ』(2013)など。『ツァイトゲーバー』は各地で再演され、2014 年5 月にはHAUHebbel am Ufer(ベルリン)の「Japan Syndrome Art and Politics after Fukushima」にて上演された。セゾン文化財団助成対象アーティスト。アトリエ劇研アソシエイトアーティスト。


という講師の村川さんの公演が、京都芸術センターで行われます!!
来週末の公演ですが、ぜひぜひ皆様こちらもご予約くださいませ!

次回のブログでは、KYOTO EXPERIMENT 2014で上演されたエヴェレットゴーストラインズのおさらいをします!
まだまだご予約受付中です!
京都芸術センターにて行われる、村川拓也『エヴェレットゴーストラインズ』をお見逃しなく!


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KYOTO EXPERIMENT 2014にて上演された村川拓也の最新作『エヴェレットゴーストラインズ』。今回はただの再演ではなく、新たにつくられた4つのバージョンを連続上演する試みです。初演のコンセプトは引き継ぎ、この作品をある一つの演劇の形式であると捉え、その形式に4つの新しいアイデアを投げ入れることによって本番ごとに異なる作品を生み出します。前回同様、出演者が未定のこの作品は、演劇の不在性または世界の不確定性に向かって新たな実験の場となるでしょう。(『エヴェレットゴーストラインズ』特設サイトより)



【日時】 2015年 7月10日(金)-7月12日(日)

10日(金)19:30 ver. A「赤紙」
11日(土)19:30 ver. B「顔」
12日(日)14:00 ver. C「記録」
     17:00 ver. D「集団」

※受付、開場は開演の15分前。

【会場】 京都芸術センター フリースペース
【料金】 前売・当日共に2000円(全席自由)
     ※半券提示+500円で別バージョンの観劇ができます。


【チケット取扱】 メール予約   tommy@chikin-base.com
         ウェブサイト チケット予約フォーム
         京都芸術センター(10:00-20:00)窓口販売のみ 

6/22 チケット発売!


今この記事が書かれているのは、実は7月2日です。

昨日より、アトリエ劇研にて行われますこの劇研アクターズラボ+村川拓也
《ベチパー》による第一回公演 ヘンリックイプセン原作『人形の家』のご予約が開始しました!
予約フォームはこちらから↓
https://www.quartet-online.net/ticket/etdukkehjem


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劇研アクターズラボ+村川拓也
ベチパー 第一回公演『人形の家』

原作:ヘンリック・イプセン
構成/演出:村川拓也

出演
穐月 萌/井上 拓哉/近江 就成/押鐘 楓/北野 万里奈
城間 典子/武内 もも/野村 眞人/東川 菜/渡辺 祐子


■日時  2015年 9月4日(金)~6日(日)

9月4日(金) 19:00
9月5日(土) 15:00/19:00
9月6日(日) 15:00

※開演30分前より受付、開場
※未就学時のご入場はご遠慮いただいております。


■料金 

一般 1,800円(前売、当日とも)
学生・ラボ受講生1,300(要学生証)

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みなさまのご来場、こころよりお待ちしています!
どしどしご予約くださいませ!


6/17 人形の家 チラシが完成しました!



人形の家のチラシが完成しました!

表面のイラストは受講生の東川さん、チラシデザインは劇研アクターズラボ+あごうさとしクラスの担当の脇田くん、キャッチコピーは人形の家のノーラさんです!

もう間も無く皆さんのお手元にお届けできると思います!
ご予約はこちらのサイトからアクセスください!
みなさまのご来場、こころよりお待ちしています!

http://www.gekken.net/actorslabo/cn31/murakawa.html



6/15 もうすぐ、村川ラボ2期の募集が始まります。


劇研アクターズラボ村川クラスは、今回の人形の家だけで終わりではありません。
三年間あります、三年間で三回、アトリエ劇研にて公演を行います。


今回の人形の家で第1期のクラスはおしまいですが、同じ 9月末には、説明会を行い10月から公演を行います。


webページはまだ出来ていませんが、実はチラシが出来ています。
募集要項などについては追ってアクターズラボサイトにて公開します。


今日はとりあえずチラシの画像だけお先にお目見えしようと思います。




チラシは2種類です。
間も無く募集開始です!
詳細はアクターズラボ+村川拓也クラスにて!

6/10 人形の家 おさらい

今日は人形の家のおさらいです。

ネタバレではなく、おさらい、という方が正しいハズで、というのも、もちろんどんな話か知っている人も知らない人もいるのでしょうが、なにせ100年も前に書かれ、様々な形で上演され続けたこの「人形の家」について、いまさらストーリーというかあらすじというか事のあらましをここで書いたところで、怒られる事はないだろうし、もちろんどんなお話かを知らずに芝居を見る事が好き! という方はさっと読み飛ばしてくれればいいだけで、なにより、あらすじを知ってしまったからと言って、今回のベチパーによる「人形の家」の面白さが無くなるなんて事はまるで無いし、というか、どんな話か知った上で見に来ていただいた方が、不意打ちのような驚きがたくさんあると思いますので、もし、あらすじを知る事に抵抗が無い方は、このリンクからあらすじを見てみてください。

まずはウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/人形の家

続いてアマゾン
http://www.amazon.co.jp/人形の家-岩波文庫-イプセン/dp/4003275012


というか、「イプセン 人形の家」と検索すると、驚くほどの量の個人ブログがヒットして、本当にたくさんの人が色々な読み方をしていて、たくさんの解釈や感想がたった一冊の本から、この一冊の本に書かれている文字の何百倍の量の言葉で書かれている、ということに改めて驚くのですが、とにかくそんな多彩な読みを誘うこの人形の家を、劇研アクターズラボ+村川拓也クラスでは、9月に上演をするために日々アクセクとこのテキストにアクセスしているのでした。

2015年6月10日水曜日

6/8 自分そのものが理由であるような


テキストが要請する動きについてはト書きとして台本に書かれていることもあるのだけれど、基本的に台本というのはほとんどが主に声に出されるべき言葉によって埋めつくされているのであって、つまりそれは「お前らが察してどうにかしろよ」という脅迫的でそっけないものないものです。


書いてあるからな、わかるだろ? というそこで察すべき制度的な身振りをあっけなく無視しながら稽古を進めていく村川クラスではありますが、そういったやり方において、ある種の強制力として働くテキストの暗黙の命令は、同時に、人がどのように動くかということの根拠という拠り所としても働くわけですから、その命令-制度を無視することは、誰しもが共有する拠り所としての「こうあるべき」安全な場所から離れるということであり、そうなるとどうなるか、というと、他人の命令を無視して、自分自身を根拠として、私はこうなのだ! だからこうなっているのだ! と主張しなければなりません。


演劇とはこうである、人形の家とはこのように上演されるべきものである、という優等生的な方法を選んだ場合には決して起こらないような不意打ちや驚きは、「人形の家」の命令を無視し、制度的なありきたりさから距離を置いて、つまり人形の家に対する不良として上演に向かっているこのクラスであるからこそ起きるとともに、その不意打ちの驚きは、ルールを平然と破る子供のようにどこかユーモアがあってで爽快です。


あと、急に話題を変えますが、アトリエ劇研のHPにて情報も掲載されました。
ご予約は7月1日より!
皆様のご来場、こころよりお待ちしています!


http://gekken.net/atelier/lineup/pg276.html

2015年6月4日木曜日

6/3 同じことの繰り返しとして、



同じことの繰り返しとして、例えば能なんかは橋を作るにあたって人柱になった男についての伝承を語るために行われた、などという起源の解釈があるわけですし、そうやって継続することというそれ自体が一種の価値として行われることには、他には聖地巡礼などを行い過去の神話的な伝承を再確認し自分たちの出生を知るための必要な儀式になったりするのですが、概ね普通の生活のなかでは同じことの繰り返しは退屈なものとして嫌われることが多く、そういったことが一つの秩序となった時にその世界が構成している関節をはずす者を道化と呼んだ山口昌男という文化人類学者は、道化は笑い者であると同時に恐ろしい者である理由を、秩序に反した出来事であるからだと結論をつけるのです。


イプセンによって書かれ、ごく当たり前に解釈できるための研究書など探せ場いくらでも手に入る「人形の家」というテキストは、説明がついてしまう秩序の側にすでに収められていて、人形の家はこういうものだ、という確固たるあり方が示されてしまっているからこそ、秩序に違反する不良少年が指導されるように、人形の家っていうのは、ああいうものじゃあないんだよ、と制度のなかのあり方を強制される可能性を秘めたテキストです。



同じことの繰り返しとして、何度も再演され語り直されてきた人形の家の繰り返しの円の外に出てしまうことのおかしさは、端的に、ふざけてる、というような気がしなくもなくて、きっとイプセンの人形の家の上演、と言われてもごく普通のあり方として想定されていないこのクラスの「人形の家」は、端的にちょっと「おかしい」ものになっています。


とはいえ笑いは、すでにある秩序からはみ出した突飛で驚きに満ちた出来事として、つまり想定外の出来事として現れた時に、笑いと畏怖は起こり得る可能性があって、ちょっとおかしい出来事の「おかしい」は二つの意味を抱えてながら、同じことの繰り返しとして、少しずつずれながら進んでいます。

6/1 同じことの繰り返しとして、


同じことの繰り返しとして、例えばイプセンの人形の家について、日本における翻訳書はウィキペディアによると、現在容易に入手可能なものとして三冊の人形の家を紹介しているのですが、つまり、日本語で書かれた人形の家というテキストは、《それでもどういうわけか、イプセンの人形の家、と言えば誰しも、色々な注釈に囲まれた制度的な人形の家の中でゆったりと、ああ、フェミニズムの、お金の話で、演劇の、あれだよね、うんうんと物知り顔で幾らでも、人形の家と言う制度の中で説明できてしまうわけですから、》とこのブログにて、かつて書いたことがあったとしても、翻訳の数だけ全く別の(というのは内容や選択された日本語やタイトル横に記された訳者の名前の記述)本としてありながら、それらは簡単に、人形の家である、と名指されることになるのです。


翻訳という、外国語の文字を母語で代用する(represent)、という作業は、ある外国語に対し、それに相当する(represent)母語に書き換えることであって、その外国語の代理(represent)の言葉があるテキストを再現する(represent)ということでもあるのですが、このrepresentという単語一つとっても、このフランス語の意味を日本語で再現(represent)するばあい、その文脈や使用方法によって表現(represent)される出来事や説明(represent)される意味は、たった一つの単語であるにもかかわらず、いくらでも別のものとして立ち現れてしまうというそれは、翻訳についての話ではなく、同じことの繰り返しとして何度も続けられながらずれていく演劇の稽古のことであったり、あるいは一番最初に書かれた「人形の家」から100年ほどの時間を経て、様々に翻訳され、研究(つまり別の言葉でそれを説明すること)され、そうやって一つの同じ「人形の家」としてありながら、同じことの繰り返しとして、《今までに世界各国で何度も再演(represent)されたであろうこの「人形の家」の上演(represent)を目指し》、稽古は進んでいます。

5/27 同じことの繰り返しとして、


このブログが気がつけば1180くらいの閲覧回数がカウントされておりまして、なんとなく驚いてしまったのですけど、それではせっかくなので読み直してみたりしたら、なんとまあ、同じような話ばかりしている、というか、稽古自体も確かに同じことばかりしているのですが、それにしても、制度、とか、外に出る、とか、そんな話ばっかりしている、ということに気がつくのでした。



《たったひとつの「人形の家」が、受講生がそれぞれに考える「人形の家」に再構築されて、さらにそれぞれに新しい解釈をされたいくつかの「人形の家」が、たった一つの「人形の家」として構築される過程は、例えば、よつばと!というマンガの帯にも 「世界は見つけられるのを待っている」 と書かれていましたが、なにで見つけるのかといえば、自分は人形だ、とノーラが自分自身を語ったように、それぞれに「人形の家」は、こういうものだ、と受講生が考えて形にした発見をパッチワークする作業は、今までの稽古で、すでに取り留めもない「人形の家」がさらに取り留めもないものになってしまうのかもしれませんが、例えば難解な絵本で「そんなの子供じゃないよね」という距離をとることによって子供のことを考えるように、いろいろな言葉でパッチワークされた「人形の家」が再構築されることによって新しい「人形の家」を発見するということもあるのかもしれません》


《決してイプセンが想定していなかったであろう今回の幾つもの奇抜な「人形の家」は、ありきたりな人形の家ではない、しかし、人形の家である、という不思議な二重性を保ったまま、ほんの少しずつ、人形の家への理解を深めている最中です》


《人形の家を勉強してしまったばっかりに、上手くいかない、と村川さんは仰って、それは、人形の家というものが、「ある制度的な場所から自由になる事の話」だといった読まれ方をするのであれば、人形の家を上演するという事は、同時に「制度からの自由でなければならない」のかもしれないという考えがどうやら頭の中で漂っているらしく、その自由とは、きっと最初から村川さんが言っていた「演劇のような喋り方って言うのは何となく出来てしまうんです」というような、どうしても勝手に我々がいつの間にか習得している「それらしさ」にあやかるどころかまるでそれそのものが正解であるかのように思い込まされてしまい、気がつけばそこから抜けられなくなっている「制度」からの自由でもあり、》


同じ時間について、同じ言葉を繰り返し語る、というか、同じ主題を何度も語り直してばかりではあるのですが、そんなに同じことばかり書いてしまうのも、演劇の稽古というものが、同じ稽古を繰り返し続けざるをえない、からこそ、その堂々巡りはまさしく演劇の稽古をしているという感じがするのでした。



2015年5月14日木曜日

5/13 けいこ


稽古は順調に進んで、と、言いたいところではあるものの、何も不安がなく全てのことが軒並み一点の曇りなく決定していくと言うよりは、どことなく緩やかに、そして何かと迷いながら、立ち止まったり変更してみたり色々と試してみたり、というような稽古で、サクサクと色々なことが出来上がっていくという状況ではないのですが、ネットで見つけた語源由来辞典なるもので「稽古」を検索してみたら、稽古の「稽」というのはもともと考える、という意味とかに使われた漢字だそうなので、そういう意味では、極めてまっとうに稽古をしているし、考えてる間は稽古は順調なのでした。



とはいえ気がつけば5月になってしまったのですが、実はまだイプセンの人形の家について、どのようにそれを上演するべきなのかということを改めてまだ悩んでいて、昨日の稽古では今までやってきたやり方とはまた違う方法を試して見る、といったことが始まったりするのですが、それがどうして行われるのかといえば「それは一体なんなのか」という事についてや「どうすればいいのか」といった事について、考える、ために、稽古の時間は費やされています。



なんかないすか、と村川さんは受講生に尋ね、もちろんすぐに解決なんかができる事柄の方が少ないわけですから、割と皆さん一様にだんまりで、一人だけ案を出した人もいたりはしたけれど、ひとつの答えが全ての答えになるわけではなく、なんとなく、相変わらずの迷いながらの稽古が着々と進みながら、実はそろそろチラシを作ったりアトリエ劇研のHPに情報を掲載したり、上演作品だけではない色々な作業が進み始めていて、きっと来月の中ごろには皆様の手元にチラシがお届けできると思うのですが、是非とも皆さん、お楽しみにしていただけたらと思います。


ちなみに、稽古の「稽」は考える、という意味だそうですが、「古」の方はそのままイニシエで、つまり昔の事とかについて考えながら今に生かす、みたいな意味合いらしく、100年以上前のテキストを今改めて上演するためにどうすればいいかと悩むそれはまさしく稽古真っ最中という感じなのでした。

2015年5月13日水曜日

5/6 太るテキスト


アクターズラボは公演近くになると週に二回の稽古になり、それでこのクラスでは少し早めに6月から週に二回の稽古になるわけですが、それまでの時間を今何をして過ごしているかというと、少し古めかしい演劇の言葉でいうなら「実験」のようなことが行われています。


それで、具体的にどんなことをやっているのかというと、村川さんがこう言っていたのでそのままタイトルに採用されている「テキストを太らせたい」というようなことで、一度村川さんが改変した「人形の家」に、オリジナルの「人形の家」の台詞を肉付けしていくために、実際の生身の俳優たちがその言葉を声に出しているのを聞きながら、そこから幾つかの台詞を採用して新しいテキストを書き直す/書き足すというための時間が過ぎています。


イプセンによって綴られた言葉の断片は村川さんによって切り離され、やがてパッチワークのように縫い合わされるのですが、もともとTextileという言葉から派生したテキストというそのものの意味で布地/織物のように一度裁断されて新しく切り貼りされ、もちろん縫い物をしているわけではなくて、それに村川さんは「太る」という肉感的な比喩を使ったのであれば、どちらかといえばそれば縫合手術のようなやり方なのかもしれませんが、それが布地の織物であろうと、肉の縫合であろうと、文字を綴ることであろうと、少しずつ形になっていくテキストに寄り添いながら、今日も稽古は進んでいます。

2015年4月30日木曜日

4/29 「息抜き」とは言ったものの、コントを作ることはなかなかハードで


「息抜き」とは言ったものの、コントを作ることはなかなかハードで、村川さんからの指示は、銀行、コンビニ、家、に強盗が来る、という設定でコントを作る事と、とにかく笑かしてください、と、ハードルの高いハードな注文で、とりあえず二つのチームに分かれて受講生達は短い時間の中で、その、笑かすためのコント作りの相談を始めました。

村川さんからは、普段どうしても演出をされつづけて受け身になっていくから、今日は自分たちでどうにかする、ということを実践しましょう、ということでコント作りだったわけですが、人を笑わせようとして頑張ってしまうと「人を笑わせようとして頑張る人」になってしまい、「人を笑わせようとして頑張る人」というのは、どことなく一生懸命さが辛いというか、


面白いことします、見てください!


的な始まり方で始まってしまうそれは、多くの場合、温度差に冷めてしまうものです。


とはいえどうしたってバカバカしいそのありきたりでありふれた強盗というテーマのコントにも見応えがあって、もちろんコントに演出をつけている村川さんというのも新鮮ではあったのですが、そういえば村川さんは、コントの中で出てきた「ださっ!」という台詞に引っかかっていて、引っかかっていたというのは、稽古場という場所は普段の生活に比べて緩い場所(というのはつまり自分に対しても他人に対しても検閲を抑えるということでしょうか?)であるべきだから、そういう言葉がどんどん出て来ればいい、といったような事なのですが、山口昌男のように文化人類学を研究しながら笑いや演劇を同じ地平で語った研究者もいたり、別役実のように(、と言っても非常に不条理な)コントを書いた劇作家もいましたし、何で読んだか忘れましたが浅田彰は松本人志の「一人ごっつ」に対してまるでベケットのようだなんて言ったりもしたわけですから、笑いは演劇から遠く離れた場所にあるわけではないし、笑いと演劇を無理に分けて考える必要もないかもしれないし、




だからこそ、それを決して「息抜き」のようには出来ずに悩み込んでしまう受講生は、自分に対する検閲が強いのかもしませんが、自分自身を不自由にしてしまっているということは、どういった結果になるかはわからないものの、自由になる可能性もあって、それは常識に縛られて人形になっていたノラが、非常識な行いであろうと自立しようと家を出る事に似ているではないか!  と、どうしても人形の家と関係を持たせようと躍起になっている、このブログの筆者は、コントの中の強盗たちが、お金をください、と多様な言い方で叫んでいたのを、今思い出したりしながら、面白いコントの台詞どころかブログのタイトルさえ思いつかずにいるのでした。