2016年6月30日木曜日

6/29 ヘイト!


書き忘れていたことがひとつあって、今回の稽古場には、時々、京都大学の院生で日本語がとても上手な剣さんが時々来てくれていて、以前、受講生7名の最近の出来事を日本語でかいた文章を中国語に翻訳した上に発音の授業までしてくれたので、じつは、今回の出演者はほんの5分だけ中国語をモノローグすることが出来る、という、たったそれだけのセリフ(といっても実際の上演で使われるのかわからないのですが)を覚えていて、それでも毎回その剣さんが稽古場に来てくれるわけではないので、そういう時に最近の稽古場で何が行われているのかというと、インターネットや反中本の文章、ヘイトスピーチや夏目漱石が過去に書いている中国批判、などを、日本語で読み上げる、ということ、ですが、そういうとイカニモ政治的、な作品に仕上がりそうですが、私たちはただの一言も、自分たちの言葉で中国について何かを語ってはいなくて、2ちゃんねるでもなんでも、とにかく、現実に誰かが書いた文章を引用してそれを呼んでいるわけですから、なにか政治的なメッセージなどを語っているのではなく、ものすごく徹底的に現実的な出来事について考え、リアリズムな言葉を駆使して稽古場を作っているものの、来週は、ヘイトではなく漠然とした、中国について書かれたものを読んでみよう、ということで、日本人が捏造した根拠によって語られる暴力的な差別の言葉を来週は聞かずに済みそうですが、なにより、凄く残念なのは、前に剣さんが私たちに中国語で読んでくれた日本に対する中国からの応答、つまり日本批判を、私たちはその言葉を知らないばっかりに、理解できなかった、ということです。

6/15 インタビュー!


それで中国について、中国語について、あるいは、というかむしろ、それらの国や言葉を通じて、私たちの母語や歴史や現在を否応なく考えざるを得ない大きな大きな「中国」について、だけを黙々と考えていたわけではなく、もう一つ、この稽古場では時々、インタビューを音読する、という作業も行われていて、答えているのは笙野頼子や保坂和志、太田省吾などの小説家、演出家、など、広い意味での文学者、と言っても良いのかもしれませんが、そういった「作家」の文章を、話し手の性別などもあまり関係なく、とにかく読んでみる、と言う作業について、実際に稽古の最後に村川さんも「これはあんまり今回の作品に関係ないです」と言っていたわけですが、どうやら、インタビューという形式なのか書物なのか判りませんが、いずれにしてもそれへの関心から稽古場では数回、インタビューを声に出して読む、ということがなされ、けっして私、ではない出演者が、だれにうっているのかよくわからない相づちをしながら、そうですね、僕が考えていることは〜、などなど、自分ではないものの言葉を自分の言葉として、しかも文学者は考えることが難しいのかリゾーム、シニフィアン、エクリチュール、天皇制、領土化と脱領土などなど、むつかしい言葉満載であったり満州から引き上げてきた思い出などについて語る20代前半女子、などなど、とにかく、絶対にそれが「私」の言葉でも事でもないインタビューを「私」として引き受ける姿は、たしかに自分ではない人の言葉を自分のこととして話す、という意味では演劇、なのかもしれませんが、いずれにしても、今回の稽古場では、演劇は少しいびつな形にされながら、上演に向けて着々とした遠回りを続けています。

6/7 フィールドワーク!


そして日々稽古は進んでいて、演劇の稽古といえば、もちろん声を出さなければいけないわけですからまずは発声練習、その前に、大きな声を出すためには体をほぐしておく必要があればストレッチをしてみたり、それで、ひと通りそれが終われば自分のセリフを確認したり、会話のシーンがあれば誰かと一緒にそのシーンを再現してみたり、そういう場所はいわゆる稽古場、といっても鏡張りの稽古場なんていうものはなかなか準備出来ませんが、とりあえず四方向に壁があって天井もしっかりあって明るい場所、と、いったことが行われるこのクラスではなく、今回の集合場所は四条にあるバーガーキングの二階――は確かに壁も屋根もありましたが、けっしてストレッチや発声練習に適した場所ではなく――に集まり、受講生たちと村川さんは車通が多く賑わっている割にはなんだか歩道がやけに狭くて、うっかりすると向かいから歩いてくる人に肩や腕をぶつけてしまう、自転車の走行が禁止されている四条烏丸付近へ散策、というか、フィールドワークに向かい、それというのもその日の稽古(?)は「街にいる中国人が何をしているのかじっくり見てみよう」という稽古(?)で、出演者の7名(お休みもいましたので正式には6名)は、各々に街を徘徊し、薬局やホテルや、あまりに出来過ぎた偶然で修学旅行らしき中国の学校の生徒達がわやわやと連れ立って歩いている横を一緒になって歩いてみたり、などのことをしながら、それを後日レポートにまとめる作業をしたわけですが、さて、これが「演劇」の「稽古」か! と言われると、なんとなく、微妙、な気がするのですが、一番の問題、あるいは幸いは、受講生の7人が、なんでこんなことをしなければいけないのか! 私たちは俳優になるために演技の練習をしに来たのではないのか! これは演劇ではなくて社会学とか文化人類学ではないか! というような皆様ではなく、あ、四条ですね、また、なんか変なことするんですね、と簡単に納得してバーガーキングに集まり、大学生のふりをして薬局で買い物している観光中のカップルに声をかけるくらいには楽しんでいる、ということが、問題、あるいは、救い、というか、順調、ということなのかもしれません。

6/1 中国語


さて、すっかり何も更新されない村川拓也クラスのアクターズラボですが、実はしっかりと稽古が進んでいて、しかし、昨年はイプセン、人形の家を上演した我々「ベチパー」は今回、恐らく戯曲などを使うことがなく、昨年とは全く別の作品を上演することになりそう、そもそも、昨年も書いたことですが、このクラスが目指している「俳優」は、きっと誰もが考えるような俳優、例えば演技が上手とか、声が大きいとか、自分の意志で涙を流せる、とか、そういったことを目指して行われずに、むしろ、積極的にそういったことを避けるような舞台への立ち方を目指している今回のクラスなわけで、それであれば、わざわざ、戯曲、などというものも、もしかしたら必要無いのかもしれない、と、なんだかんだ色々とあるわけですが、さて、その上演について、何が行われるのかというと、実はまだほとんど決定していないものの、ひとつだけ、やんわりと皆様にお伝えできる事は「中国語」ということです。

上演は9月末、アトリエ劇研にて、皆様のご来場お待ちしております!