2015年8月26日水曜日

8/24 「人形の家」の制作の楽しみです

劇研アクターズラボ+村川拓也『人形の家』が、もうすぐ劇研にて上演されます。

9月4日(金)~6日(日)、村川拓也さんの演出による『人形の家』ですが、1879年、ヘンリック・イプセンによって書かれた古典的名作を、1年間の稽古を経た10名の若い俳優たち(中には高校生が、3人!)と、「エヴェレットゴーストラインズ」や「ツァイトゲーバー」などなど、ドキュメンタリー的手法によって様々な作品を上演してきた村川さんによる《戯曲》の上演、ということで、稽古にほぼ付きっきりの制作としては、すでに「面白い!」と言いたくなってしまいます。

が、まだ初日も開けていない演劇を「面白い!」というのはおかしい。それは、ご飯を食べる前から「美味しい!」と言うのと変りありません。正しくは【美味しそう】と言うべきです。メニューを見ながら「美味しい」、とは言ってはいけません。

それでもなお、制作として稽古場に居続けられる特権として、稽古場で面白いシーンのつまみ食いをしていると、まだテーブルに出される前の、調理途中の料理を味見しながら、美味しい! と言うことのように、劇研で上演される前の色々な魅力的な断片に、いちいち、面白い! と言うことが出来るのです。

ぜひみなさまに当公演をご覧いただきたいと思っています。
絵に描いた餅より、醤油的なもので味付けした餅の方が食べた時に美味しいです。
台本に書かれた台詞は絵に描いた餅です。公演紹介文も絵に描いた餅です。食べて「美味しい!」と唸ってください。

お誘い合わせの上、ぜひともご来場くださいませ。
皆様のご来場、こころよりお待ち申し上げます。

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劇研アクターズラボ+村川拓也
ベチパー 『人形の家』
2015年 9月4日(金)~6日(日)
9月4日(金) 19:00
9月5日(土) 15:00/19:00
9月6日(日) 15:00
料金 
一般 1,800円(前売、当日とも)
学生・ラボ受講生1,300(要学生証)
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ご予約どんどんお待ちしています!

2015年8月20日木曜日

8/19 京都新聞にて情報が掲載されます!


8月28日の京都新聞夕刊にて、今回の劇研アクターズラボ+村川拓也 ベチパー 「人形の家」の公演情報が掲載される予定です!


第一回公演にしてすでにこんな風に取り上げていただけるということで、本当に感謝感謝です。

受講生もラストスパートで稽古を進めつつ、いろいろな大学などにチラシを配ってくれたりしています。


本番に向けて受講生の頑張りが少しずつみなさんにも伝わっているのかもしれません。


ぜひともみなさん、小さい記事かもしれませんが、8月28日の京都新聞をお楽しみに!
皆様のご来場、こころよりお待ちしております!


http://www.gekken.net/actorslabo/cn31/murakawa.html

8/17 スタッフ見せでした。



いよいよ、というか、随分前から初日まで残り一ヶ月を切っていたわけですが、この日初めてスタッフにみなさんが揃っての、本番さながら、と言っても最後まで通し稽古をしたわけではないですが、とにかく本番のような緊張感の中で、スタッフ見せ、というのはつまりスタッフの皆さんにどんな公演になるかを見てもらい、本番の準備を進める、ということで、つまり普段は受講生と村川さんしかいない稽古場に、たくさんの大人が集まって通し稽古を見る、という、公演前の出来事としては普通のことではあるのですが、なんとも独特の緊張感でスタッフ見せは始まったのでした。



書き手はスタッフの皆さんとともに稽古の途中から稽古場に来たためそれまでにどんなことをやっていたのかも知らないのですが、とにかく、いつもと違う人たちがいる稽古場とにて受講生たちは、ただただ、そわそわ、というか、そわっそわ、しておりまして、あ、今日は、大丈夫か? ダメか? 緊張してるな、大丈夫か? あ、ダメ、かも、と始まる前は思っていたのですが、なんとなく始まってみたら、あ、大丈夫、かも、あ、なんか良いかも、しれないけど、お、お? おお、なんか、良いじゃん、いつもより良いじゃんなんとなく上手くいってるじゃんなんだ安心したと思った時に、あ、あいつ間違えた、とかちょっとした間違いとかはあったりするのですが、アクターズラボに集まった若くて未熟な出演者たち、なんかではなくて、とっても面白い芝居をする団体の通し稽古、という感じでとっても安心したわけで、しかし、終わってからスタッフの皆さんの感想とかを聞き忘れてしまったので、それがどんな感想だったか、などをみなさんにお伝えすることができないので、是非とも皆さん、劇場に足をお運びください。



皆様のご来場、こころよりお待ちしております!

劇研アクターズラボ+村川拓也 「人形の家」
2015年 9月4日(金)~6日(日)
9月4日(金) 19:00
9月5日(土) 15:00/19:00
9月6日(日) 15:00
料金 
一般 1,800円(前売、当日とも)
学生・ラボ受講生1,300(要学生証)


http://www.gekken.net/actorslabo/cn31/murakawa.html

8/12 ご予約まだまだ受け付け中です。



今日は10ヶ月前の稽古風景の文章を掲載します。
10ヶ月前からこのクラスでは人形の家を使って稽古をしていました。


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10/29 イプセンの、人形の家?

アクターズラボは基本的に、講師が書いたオリジナルテキストでの上演がほとんどなのですが、今回の講師である村川拓也さんは、劇作家、という肩書きは持っていません。


それでもアクターズラボらしく、今回は、台詞を声に出して読んでみる、という稽古が行われました。
題材になったのは、イプセンの人形の家、その最後の数ページを出演者たちが分担して読むというような稽古が行われました。
何とも演劇らしい、演劇的、というか、演劇チックつまり演劇っぽい読み合わせが終わった後で村川さんからあった指示が、台詞の意味とかシチュエーションとかを考えず、面白く読んでください、というようなことでした。


村川さんは人形の家をよく知らないそうです。そしてそれを読み上げる受講生も、誰一人として読んだ事がないそうです。
それでも、演劇のテキストを持って、それを読んでくださいと言われると、どうしてもいわゆる演劇的な読み方を出来てしまうのですが、演劇「的」であるという事は、きっと、演劇ではない、という事でもあるのかもしれません。
もちろんその後はイプセンとはほど遠い読み方(笑いながらとか、口を開けずに喋ったり、語尾が聞こえなくなっていったり)で声にされると、むしろ演劇どころか、歌でもないし、落語でもないし、音読でもないし、漫才でもないし、と、何処にも属していない声が稽古場で話されました。


いったいそれがどんな風に演劇「的」な所から離れていくのか、そしてどんな風に演劇になっていくのか、その結果は来年の今頃、アトリエ劇研で上演されます。
いまから気の早い宣伝ですが、劇場でお待ちしています。

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そもそも、受講生のなかでほぼ誰も人形の家を読んだことがなかった、というところから始まっている! ということに驚きですが、今日も人形の家の稽古は進んでいます!

劇研アクターズラボ+村川拓也 「人形の家」
2015年 9月4日(金)~6日(日)

9月4日(金) 19:00
9月5日(土) 15:00/19:00
9月6日(日) 15:00

料金 
一般 1,800円(前売、当日とも)
学生・ラボ受講生1,300(要学生証)

http://www.gekken.net/actorslabo/cn31/murakawa.html

2015年8月13日木曜日

8/10 猫写/描写


「猫の尻尾ばかりを細部まで丹念に描いて全体の構図やバランスがおかしくなってしまうような絵の書き方」という猫の写生の比喩について、それを思い出せなかった、ということから、次回、ということにしてそれまでに調べてくるつもりだったのに、まさしく、それを調べるのすら思い出せなかった書き手は、セリフを覚えきれていない受講生に「頑張ってセリフを覚えてね!」とか言ったりする資格は無い! ということかもしれませんが、セリフを覚えなければ演劇にはなら無いので、受講生の皆さん、頑張りましょう!


とはいえ、セリフを覚えることもなかなか大変ではありますが、そもそも、「人形の家」のあらすじなどはいくらでも検索で出てくるわけで、わざわざ覚えなくても、誰もが知っている、と言っても過言では無いような「人形の家」を上演することは、簡単に要約してしまえば、これから何が起きるのだろうか、という「謎」をほのめかすような、何が起きるかわからない、というミステリー的な発想のようなことが出来ないという事かもしれません。


しかし、今回の稽古の中で不意に思い出した(というか、思い出しそびれている)、《猫の尻尾ばかりを細部まで丹念に描いて》いくことで狂った細部の全体像が出来上がる、というのは、具体的に書きすぎる事によって、むしろそこにあるものの意味がわからなくなる、過ぎたるは及ばざる、という事でしょうけど、本当に小さな一つ一つの出来事に丹念に見続けこだわり続け村川さんの演出による、誰しもが知っているはずの、外に出て行く女性を描いた「人形の家」の稽古について、前回「どんな風にこの「人形の家」が完成されるのか」わからない、と、と書きましたが、よく考えれば、終わり方は他でもない台本に書いてあって、それこそ、誰でも知っているラストシーンのはずなのに、なぜ稽古場では、その終わり方がわからなくなってしまうのでしょうか。


謎をほのめかし、最後に種明かしをする、という「未知→既知」という方向性ではなく、知っているはずなのにそれについて理解ができない状態への、「未知←既知」という、つまり、「知っていることが、わからなくなる」という作業が続く人形の家は、例えばサミュエルベケットの小説のいつまでも続く描写のように、あるいは電化製品についてくる膨大な量の説明書のように、それ自体について、わかっているはずなのに、わからなくなっていく、という、狂ったパースの不思議な魅力を携えながら、人形の家を見つめたままの後ろ歩きを続けています。

2015年8月12日水曜日

8/5 以上の4点から、私たちは《外》に出ることを、


《以上の4点から、私たちは《外》に出ることを、イプセンの「人形の家」を通じ、目論み、実践しようとしている、ということが今回の趣旨、というか、このブログで《制度》とか《関節外し》とかいう言葉で書いてきたことを一回まとめるとこんな感じになるのだと思うのですが、佳境に差し掛かる稽古場では、そういったコンセプトをさらに超えるような、それこそ、自分たちで考えたことからさらに《外に出る》ことを目論むような稽古が、日々進んでいるのでした。》



と前回のブログで書いてはみたものの、実際の《佳境に差し掛かる稽古場では》すんなりと何かを乗り越えたり出来たわけではなく、前に進むのでもなく、むしろセリフがあやふやだったり、前にやったことを忘れてたり、前にやったこととは違う事を始めたりして、同じ場所をぐるぐると回っているような稽古が日々繰り返されています。



ほんの一歩の足の運びを何度も何度もやり直したり、どの方向に歩き始めるのがもっとも正しいのかわからないので思いつく方向への歩みを全て試してみる、というような稽古を繰り返している最中の「人形の家」ですが、その細かさは「重箱の隅をつつくような」といった言い方も勿論あるかもしれませんが、どちらかといえば、と、ここまで書いて一切思い出せない、中国にあるはずの「猫の尻尾ばかりを細部まで丹念に描いて全体の構図やバランスがおかしくなってしまうような絵の書き方」を指す短い言葉について、全く思い出せず検索しても出てこないので、一旦家に帰って思い出してから続きを書く事にするつもりで、代わりに何を書くのかというと、ついさっき、受講生から教えてもらったのですが、稽古は、残り、12回らしく、まだまだご予約お待ちしていますが、実は、まだ、どんな風にこの「人形の家」が完成されるのか、なんと村川さんもわかっていないのかもしれない! という、まさしくまだ尻尾の方しか見えていない今回のラボですが、皆様、是非ともお楽しみに!。


受講生の皆さん、ラストスパート頑張りましょう!

2015年8月8日土曜日

8/3 ちょっとだけおさらい



というのも、今まで何かとブログを書いてきたわけですが、そろそろ稽古も佳境になってきているので、つまり村川拓也クラスにて上演される人形の家とはどういうものか、ということをちょっとおさらいしてみようと思うのです。


『人形の家』(にんぎょうのいえ、Et Dukkehjem)は、1879年にヘンリック・イプセンによって書かれた戯曲。同年、デンマーク王立劇場で上演された。弁護士ヘルメルの妻ノラ(ノーラ)を主人公とし、新たな時代の女性の姿を世に示した物語。全3幕。

世界的にイプセンの代表作とされている。この作品(あるいは前作の『社会の柱』)をもってイプセンの社会劇の始まりと見なすのが一般的であり、彼はこの後ほぼ2年に1作のペースで作品を書き上げることになる。しばしばフェミニズム運動の勃興とともに語られる作品であり、この作品の成功がイプセンを一躍世界的な劇作家とした。

Wikipedia「人形の家」より



《新たな時代の女性の姿》の象徴として、《家の外に出る》主人公のノーラの振る舞いに注目した今回の上演は、《外に出る》ということを、具体的な行為や出来事としてではなく、抽象的なものからの《脱出》として捉えるところから始まりました。



その《外》に出るための、今私たちがいる《内》というものについて、演出の村川さんは、あらゆる《イプセンの「人形の家」的》な言説から脱出することや、演劇を上演するということからの脱出などについて語り、それは演劇が持っている制度や、《分厚い力(太田省吾)》などから外に出るということが目論まれています。


 稽古風景  (稽古場ブログ:「3/11 represent」より)

つまり、私たちは

     フェミニズム、古典テキスト、金銭問題など、様々に容易く語る事が可能になってしまう、そして語り直され続けてきた「人形の家」と呼ばれるものの枠組み

     それを上演するための「正しい」とされるような方法や、ごく当たり前に、演劇とはこのように行われるだろうという認識

     放っておけば劇は《劇的》にむかってしまう、という劇的素材と劇的方法によって出来上がる構造


     「演劇ができるようになる」というための、新しい訓練の場所としての場所を構築するために、俳優修行、つまり「演技ができるようになる」という場所


以上の4点から、私たちは《外》に出ることを、イプセンの「人形の家」を通じ、目論み、実践しようとしている、ということが今回の趣旨、というか、このブログで《制度》とか《関節外し》とかいう言葉で書いてきたことを一回まとめるとこんな感じになるのだと思うのですが、佳境に差し掛かる稽古場では、そういったコンセプトをさらに超えるような、それこそ、自分たちで考えたことからさらに《外に出る》ことを目論むような稽古が、日々進んでいるのでした。


2015年8月2日日曜日

7/29 今まで書いたもの


というのも、実は稽古のたびにブログを書いておりますが、もちろんその毎回毎回に何か画期的な発見やとんでもない問題などが立て続けに起きるような、そんな劇的な事はもちろんないわけで、どちらかといえばもはや普通に日々の生活の一つとして、週に二回とか、今はそれ以上ですが、当たり前のように稽古がある、という事が続くと、それはもう普通に生きてるという事ですし、第一、例えば太田省吾という劇作家が「劇は放っておけば劇的になろうとする」と言いましたが、まさしく、そんな「劇」から半歩だけ外に出るようなやり方へ向かう今回の「人形の家」の稽古は、いわゆる「劇的なるもの」をちょっとだけ避けて「劇」が「放っておけば劇的になろうとする」事について(それを「分厚い力」と確か書いていましたが)考えるような稽古として、小さな発見の繰り返し、わずかな変化に敏感に反応し続けるような進み方ですので、それを書くのが、難しい、という事なのですが、今までも色々書いてきましたし、その中からアクセス数が多かった幾つかの記事を今回は紹介する事にしました。

3/11 represent
とにかく一番アクセス数が多いです。
写真についてなどを写真を交えながら書いています。

7/20-7/22 劇場に初めて来る人へ
リツイート数が多かったのでそうなったのだと思います。
今回初めて劇場に来るお客さんへ

2014/10/29 イプセン、人形の家?
この記事の中でもすでに宣伝が始まっております。


本番は9/4-9/6 アトリエ劇研にて全4ステージです。
皆さんのご来場、こころよりお待ちしています!

7/27 特に何もなく



これといった問題らしい問題などがここ最近の稽古ではあまりなく、というか、最近は村川さんを交えた自主的な稽古がガンガンに行われているため、もはや稽古の動向が全く追えていなく、突き詰めていえば、よくわからない、といった状況なのですけれど、例えばそれは、この団体がいわば「団体」として自立しているのだ! ということなのかもしれません。


劇研アクターズラボは俳優修行の場所であり、それでその公演はもしかしたら発表会に似た空気を帯びてしまうものなのかもしれませんが、とはいえ、最終的には「お客さん」の前で出演者たちは公演を行うわけですし、広報とか、チラシ作成とか、やっていることは普通の劇団と変わらないので、最終的に、誰がどんな風に思おうと。これはれっきとした演劇公演なのです。


そうなると、やっぱり色々と大変なことはあるわけで、ここから公演に向けたいろんな面倒なことが起き続けてくるだろうと、なんとなく予想されるし、それに、演劇に初めて関わる、という人も多いこのクラスでは、予測不能な色々な出来事に、アクセクとどうにか関わっていってもらわなければなりません。


とはいえ、なんだか知らないうちに稽古がガンガン進んでいて、気がつけばみんなそれなりに台詞も覚えているし、なんとなく、大丈夫かもなあ、なんて気軽に考えたりしているのですが、この辺からいろんな大変な事が目白押しになってくるので、暑いし、受講生の皆さんには体調管理とかしっかりして欲しいと思うのでした。