2015年1月29日木曜日

1/28 人形の家とその他の話


珍しく19時から始まった稽古、というのは村川さんは時間があれば早めに稽古を始めるのですが、今回はお仕事の都合などで遅め、というか最初に予定していた稽古時間からスタートで、2時間の短さに驚く(人形の家は普通にやったら2時間くらいになるのでは? 一回分の通し稽古しか出来ません)のですが、今回はストレートプレイで、と言ったわりには、ノーラが急に話をやめて舞台の奥に去って行ったり、ノーラがいるはずのところにいないせいで話を聞いていた人はただそこに取り残されてしまったり、急にノーラが別の人になって再登場したり、演技自体はストレートだけれど、構造自体は相変わらず、ヘン、というか、人形の家の外へと指向します。

村川さんはお疲れでした。
なぜかと言いますと、村川さんの映画が公開されます。その準備でお忙しいのです。


MOVING2015

“MOVING 2015”は、京都で開催される映像芸術祭です。
第2回となる今回は、期間中全国から新進のアーティスト約30組を招き、 京都芸術センター、
京都シネマ、METRO、ARTZONE、アトリエ劇研など9会場で「映像の展覧会」
「映画館での上映会」 「映像がメインとなる舞台公演」「映像と音によるライブ」
「映像に関するトーク」を行います。

http://www.moving-kyoto.jp/artist/

こちらで村川さんの映画が上映されます。
さらに、アトリエ劇研ディレクターであるあごうさとしさんの公演の後にポストトークでも参加される予定です。


どちらかといえば受講生の皆さん向けの今回のブログですが、皆さん、映画館でお会いしましょう。

1/14 饒舌な秘密


みんなで手を取り合っているのは仲がいいからではなくて、というと仲が悪いみたいに聞こえますけれどそういうことでもなく、今回の稽古で舵を取ってくれた、WANDERING PARTY という団体にかつて所属し、現在は舞台芸術協会の副理事長である高杉征司さんが最初にやったゲームが、まずはみんなの手を絡めて、それをみんなで解いていくというところから、見えないボールでバレーボールなど、共同作業でしかどうにもならないゲームを中心に稽古は進み、上の写真は皆んなで絡まった手を解こうとしている最中なのです。


コンタクトインプロとか、コミュニケーショントレーニングとか、というか、ワークショップという言葉が企業なんかで最近は使われておりますが、わりかし得意な人と苦手な人がはっきりするし、人に触るとかそういったことが苦手な人にとってはタマラナイ!というものでもありますが、コミュニケーション・共同作業が苦手でも、ゲームの規則が上手く分かれば案外すんなり出来ることもあるし、いくら積極的に参加しようとしても、反射神経や運動神経がないと上手くいかなかったりするので、何が言いたいのかというと、人は見かけによらない、ということでした。運動がニガテなんだろうなあ、ということは言われなくても見ていてなんとなくわかったりします。


村川さんはその間、高杉さんの話したことをホワイトボードに書いたり、高杉さんのちょっとしたプロフィール(人は見かけによらない)を書いたりしていたのですが、最後に「声を出すためにはどういった方法があるのか」と質問されると、高杉さんは、声は誰だって出る、とおっしゃいました。


この小さな部屋の中で、村川さんに届くように大きな声を出すためには空気をたくさん吸って準備をしておくだけでいい、それでも声が大きくならないのであればそれは気持ちのどこかで何かがブレーキになっている、とのこと。


多分、村川さんが聞きたかった答えは、発声のための方法、というかもっと肉体的な面での作用を想定していたのだろうと思うし、精神的な面で解決する、と要約できてしまいそうなその答えは何となく合理的ではないように聞こえるのですが、もちろん、私たちの経験上、緊張すればうまく喋れないし、驚いた時には思わず声が出てしまうし、小さい子供を相手にすれば自然と声が高くなる事もあるということを知っているわけで、それに、稽古場で最初に高杉さんに会った時に緊張して小さく言ったコンバンワと帰りに言ったサヨウナラの声の違いは高杉さんに対する距離感の取り方の違いなのでしょうから、むしろいたって当たり前の答えで、まずはそこから始めよう、ということだったのかもしれません。







2015年1月19日月曜日

1/7 身体とか肉体とかいろいろ


今回の稽古は、ダンスファンファーレにて村川さんが演出した「瓦礫」出演者の一人であるダンサーの倉田翠さんが稽古場にいらっしゃり、下の写真のようにストレッチなどもろもろを受講生に教えてくださりました。


真ん中よりやや左に見える横顔が倉田さんです。
みんなストレッチをしています。

たとえば鈴木忠は自身の演劇について語るときなんかに「肉体」という言葉を使うのですが、もともとはダンス批評家で、雑誌「ユリイカ」の編集長をしていた三浦雅士が身体の零度という本を書いたりしているころから、演劇では身体、身体性などという言葉が一般的になっているらしく、その本の中で紹介されているエピソードなんかを思い出すと日本人は昔は行進ができなかったとか円環時間と直線時間があーだこーだフーコーの監視が云々とむつかしいことがたくさん書いてあるのですが、とにかく人の体というのはややこしく、肉体、体、身体、躰、躯、軀、と、とにかくいっぱいあるわけですが、何よりややこしいのが、気が付けば肩や腰が痛くなったり、何もしていないのにどことなくグッタリしている、やけに右足の靴底だけすり減る、と、自分のもの(自分そのもの?)のくせに、どういうわけか自分の意思とは無関係なことが割と頻繁に起きるので、私たちはいつも自分の事を監視しながら、労わりながら、えっちらおっちらとカラダという具体的なそれをコントロールしなければなりません。そういえば三浦雅士はクラシックバレエの雑誌を作っていたし、倉田さんもバレリーナでした。

身体とか体とか肉体とか、使う言葉によっていろんな考えができますが、自分の体を使うことについても、サッカーと剣道とダンスと演劇と水泳とソーラン節ではやっぱり使い方が違っているし、意外と体のことはわからないわけですし、猫背のま爪先立ちをするとなぜか背筋が伸びるというよくわからないことが起きるのですから、こういった地道なワークショップを通じて自分(のカラダ)と向き合うことでちょっとずつ自分のことを受講生の皆さんに知ってもらって、ぜひとも、体調管理に気を付けて、熱とか出さずに稽古に来てほしいと思うのでした。




2015年1月9日金曜日

12/24 髪型が違う。

テキストに寄り添っていく稽古は続きます。

二年ほど前に文庫本で出版され、買ったは良いが読む時間がない「ナボコフの文学講義」の中では、カフカ、プルースト、ディケンズなど早々たる文学作品への批評がなされているわけですが、英訳されたフローベールの「ボヴァリー夫人」において、登場人物であるエンマの髪型が違う訳され方が違うことにナボコフが腹を立てた、というエピソードは別の本に書いてあるので知っていて、もちろん、髪型の間違いなどは読み飛ばそうと思えば簡単に読み飛ばせてしまう細部ですが、例えば谷崎潤一郎の「痴人の愛」では、若い芋っぽい女がやがて奔放で魅力的な女になっていく過程において、着ている服や髪型などが物語の進行に伴って段々ときらびやかになっていく事を読み落としてしまうと、その小説に書かれているそのものが全くわからないという事になりかねません。

どうしてこんな話をするかと言うと、稽古のはじめに村川さんから、人形の家の最初のト書きに言葉で書かれている家のレイアウトをホワイトボードに書いて、その部屋を作ってみる、という提案がなされました。


後景右手には玄関に通じる扉がある。同じく左手にはヘルメルの事務室に通じる第二の扉がある。この二つの扉の間に一台のピアノ。

間ってどこなのか、後景とはどの辺りなのか、扉の大きさは?  ドアノブの高さ、ピアノの大きさ、同じくってどんな風に同じくなの?  間取りは?

もちろん読者には読み間違える自由はあるし、人形の家は初演から100年の間、様々な観客や読者に少しずつ誤読されることでその度に新しく解釈されてきたのでしょうけれど、読み飛ばしてはいけない事や、読み間違える事で面白くなる事とは何かを知る為には、まずは丁寧に読んでいく作業が着々と進んでいます。

12/17 この本を見よ!


始めて人形の家の前半部分のセリフが稽古場にて読まれました。

これまでの稽古では、テキストの後半、数ページのみを使いながら、ノーラが本の中で女性の制度から脱出したように、イプセンが決して要求していないであろう方法でこのテキストの関節を外すように、組み上がった仕組みを脱臼させるようにして本と関係してきましたが、今回の稽古では机をロの字に組んで、そこで順番にセリフの読み合わせを行いました。

そうやって皆で同じ本を読んでいると、いわゆる演劇の稽古をしているような雰囲気がしてきて、そんな風に言うと今までの稽古が演劇の稽古ではなかったような書き方になってしまうのですが、そもそも、イプセンの人形の家の全貌を誰も知らないまま始まったこの稽古場において、いわゆる、演劇、という制度は最初から予定されていないのかもしれません。

脱臼、関節外し、という言葉を好んで使った山口昌男は、演劇というものは反秩序であると言いました。それは悪いことをするのではなくて、ごく当たり前と思われているルールや制度や中心や普通の時間から外れたところに興味深いものがある、という事で、例えば、劇場は誰でも入る事は出来るけど、劇場の内側で行われる事は大体、普通の事ではありません。だってイプセンの人形の家は1879年に書かれたものですから、それは私たちにとって普通ではあり得ない以上、演劇というものは当たり前のように普通なんて似合わないのかもしれませんが、とは言え、読まなければわからない、と言うわけで、ここからの稽古は、イプセンの考えることにあやかって、少しテキストに寄り添っていく予定です。