2016年10月6日木曜日

9/19 再演について



さて、日付は公演前の最後の稽古になっていますが、実はすでに公演は終わっています。
そうして、Fbなどで再演の話がチラホラと出ているのですが、まだどうなるかはわかりません。

いずれにしても公演は終わり、中国と日本についての作品、あるいは、日本と中国についての作品、などなど、色々な言い方で説明することは可能ですが、どういう言い方をしても、その上演について細かく話をすることは出来ないので、やはり、再演をして、より多くのお客様に再び観客席で今回の公演を見に来ていただかなくては、と思っています。

東京、京都とそれぞれでまだまだ再演の可能性はありますので、関東、関西の皆様、ぜひこの機会をお見逃しなく。


9/16 9/17 公演後雑記2


本当にたくさんのお客様にご来場頂きまして、と、言えればよかったのですが、劇研で行われる演劇公演としては決して多くはない、しかし、普通の劇団の第二回公演、としては、とてもとても沢山のお客様にご来場頂き本当にうれしいです。

出演者の皆、そして私にとっても、これ以上ない経験だった思います。「中国語勉強したことある?ない?それは無関心ってこと?中国に対して中国人に対して、あるいは中国語に対して」という言葉は上演では使われませんでしたが、稽古場で話されたそれに対して、私に向けられていた質問ではないけれど、私は未だに返事をしそびれています。

9/14 9/15 公演終雑記1



これを書いているのは、じつは公演もとっくに終わった10月です

ベチパー『Fools speak while wise men listen』の初日がおわって、当日券をお求めのお客様を含め、沢山の方にご来場いただけました。
お客様のアンケートの中では、自分の中国人の友人を思い出した、という感想や、中国人の友人と共に作品を見て話をしたいという感想など、お客様それぞれに、別の誰かを思い出しながら作品を見ていただいた方や、あるいは、執拗に繰り返される言葉が、少しずつ変化する中で違っていく演技や向かい合う二人の関係性に、演劇の楽しみを見つけていただいた方など、多くのご感想をいただけました。

9/8 9/9 日本と中国

劇研アクターズラボ+村川拓也 ベチパーの新作公演のタイトルは、Fools speak while wise men listen、つまり賢者は聞き愚者は語る、という意味なわけですが、しかし、舞台の上では、日本人、中国人が互いに、聞き、話し、つまり、語り合っています。
だから彼らは、彼女たちは、互いに愚者であり互いに賢者であるような、そして、観客も、それを黙って見ているときの観客席の私たちは賢者であり、そしてそれについて感想を書いている今の私は愚者であり、だから別に、誰かがいつも愚かで、いつも賢しいわけではなく、ときどきは賢しく、ときどきは愚かしい、そんな聖俗の行き来を繰り返しているという感じです。
しかし、基本的に私たちは、言葉を交わさ分かり合えるなんてことはないのですから、いくら愚かであろうとも、最初の一言を誰かに向かって話しかけなければいけないわけで、たとえば誤解があったとしても、分かり合えないままだとしても、何度も何度も、同じことの繰り返しとして、語り合わなければならないのかもしれませんし、だから、今回の作品でも、私たちは、自ら話をしてみよう、愚かであろうとも、話をしてみよう、いつまでも愚かであり続けよう、という単純な事をしているのかとも思います。しかし、単純が、いつも簡単だ、というわけではない、から大変です。
そして、というか、あるいは、それは、分かり合う必要なんて本当はなくて、私たちは違ったまま、それでも向かい合い続けようとしているのかもしれません。

9/1 9/2 中国と日本

劇研アクターズラボ+村川拓也 ベチパーの新作公演には、中国からの留学生にも出演してもらっています、と、あまりに簡単に書いてしまいますが、中国って本当に広いわけで、一括りにそう国名で言っても、彼らの生まれた場所によってはかなり文化も違うのだ、と、よく考えればこんな島国日本でさえ、青森の人と話をすると聞き取りづらかったりするわけだし、雪を見たことない人とかいるし、第一、桜の時期に入学式、みたいなありがちなやつですが、それって東京周辺、関東地方にしか起こらない現象で、私の生まれ故郷の新潟じゃあ、桜なんて咲く気配もねーよ、めっちゃ寒いし、あとアレです、新潟でもスキーが出来ないって人もいます、と思ったりしていたし、だから私たちは、例えば一括りに、日本、と言われたって、いやけっこう色々あるから、みたいな事が起きるのに、どうして中国という国を母国にする彼らに対して、こんなにも無自覚に「中国のみんな」と言っておしまいにしてしまうような傲慢さをこれまで気が付かなかったのだろうか、と驚いたりもしています。

2016年9月3日土曜日

8/29 8/31 対話


さて、これまで何度か、ワークショップ形式での上演を視野に入れつつ、作品を作ろうとしてきたわけですが、どうやら、おそらく、なんとなく、その方法はやっぱりなくなってしまいそうです。

それというのも、昨年「人形の家」をやってみて、村川さんはどうやら、そうじゃないだろう、ということを考えたらしく、今回の公演では、アクターズラボだから、とか関係なく、自分が作るべき作品にする、といって、戯曲の可能性を早い段階でなしにして稽古を進めてきたわけですが、この直前になるまで、実はまだ決めあぐねていた幾つもの出来事もあったわけです。

しかし、いよいよ、作品をどうするか、そろそろ決めなければいけなくなって来ているのですが、やっぱり、ワークショップっぽい何かで、わちゃわちゃした作品を作るのではなく、たとえそれが無理なことであったとしても、あるいは残酷だったり不平等なことだったりしても、出演者一人一人との対話を通じて作品を作るということ、そして作品は、中国人と日本人が向い合って話をするだけの、もしかしたらどこまでも退屈な、そしてどこまでもミニマムで、小手先のアレコレなどをはじめから排除した作品が、したい、というよりは、そうしなければいけないのかもしれない、とさえ思い始めている今回の稽古場では、上演一ヶ月前にして、やっと作品の内容が固まり始めているのでした。

2016年8月24日水曜日

8/22 8/24 ワークショップ


引き続きワークショップ形式の稽古が進んでいて、ワークの中には、互いの目を見る、互いの言葉を繰り返す、など、偶然にもこれまでの稽古にて行われていたのと同じ作業があったりしたのですが、それはそれとして、相変わらずそれはルールに従うあいだ、国籍なども関係なく同じルールに従わざるをえない強制力をもって、誰もが平等になれるのですが、ワークショップは他にも、あるいて、とまる、とまって、あるく、などのシンプルなものから、誰かの事を考えて下さい、などの抽象的な事まで、様々な内容のことが行われて、そういった多くのワークをパッチワークしつつ、一つの作品として構成し直す作業が、現在行われている最中です。