2015年1月9日金曜日

12/24 髪型が違う。

テキストに寄り添っていく稽古は続きます。

二年ほど前に文庫本で出版され、買ったは良いが読む時間がない「ナボコフの文学講義」の中では、カフカ、プルースト、ディケンズなど早々たる文学作品への批評がなされているわけですが、英訳されたフローベールの「ボヴァリー夫人」において、登場人物であるエンマの髪型が違う訳され方が違うことにナボコフが腹を立てた、というエピソードは別の本に書いてあるので知っていて、もちろん、髪型の間違いなどは読み飛ばそうと思えば簡単に読み飛ばせてしまう細部ですが、例えば谷崎潤一郎の「痴人の愛」では、若い芋っぽい女がやがて奔放で魅力的な女になっていく過程において、着ている服や髪型などが物語の進行に伴って段々ときらびやかになっていく事を読み落としてしまうと、その小説に書かれているそのものが全くわからないという事になりかねません。

どうしてこんな話をするかと言うと、稽古のはじめに村川さんから、人形の家の最初のト書きに言葉で書かれている家のレイアウトをホワイトボードに書いて、その部屋を作ってみる、という提案がなされました。


後景右手には玄関に通じる扉がある。同じく左手にはヘルメルの事務室に通じる第二の扉がある。この二つの扉の間に一台のピアノ。

間ってどこなのか、後景とはどの辺りなのか、扉の大きさは?  ドアノブの高さ、ピアノの大きさ、同じくってどんな風に同じくなの?  間取りは?

もちろん読者には読み間違える自由はあるし、人形の家は初演から100年の間、様々な観客や読者に少しずつ誤読されることでその度に新しく解釈されてきたのでしょうけれど、読み飛ばしてはいけない事や、読み間違える事で面白くなる事とは何かを知る為には、まずは丁寧に読んでいく作業が着々と進んでいます。

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