2015年8月8日土曜日

8/3 ちょっとだけおさらい



というのも、今まで何かとブログを書いてきたわけですが、そろそろ稽古も佳境になってきているので、つまり村川拓也クラスにて上演される人形の家とはどういうものか、ということをちょっとおさらいしてみようと思うのです。


『人形の家』(にんぎょうのいえ、Et Dukkehjem)は、1879年にヘンリック・イプセンによって書かれた戯曲。同年、デンマーク王立劇場で上演された。弁護士ヘルメルの妻ノラ(ノーラ)を主人公とし、新たな時代の女性の姿を世に示した物語。全3幕。

世界的にイプセンの代表作とされている。この作品(あるいは前作の『社会の柱』)をもってイプセンの社会劇の始まりと見なすのが一般的であり、彼はこの後ほぼ2年に1作のペースで作品を書き上げることになる。しばしばフェミニズム運動の勃興とともに語られる作品であり、この作品の成功がイプセンを一躍世界的な劇作家とした。

Wikipedia「人形の家」より



《新たな時代の女性の姿》の象徴として、《家の外に出る》主人公のノーラの振る舞いに注目した今回の上演は、《外に出る》ということを、具体的な行為や出来事としてではなく、抽象的なものからの《脱出》として捉えるところから始まりました。



その《外》に出るための、今私たちがいる《内》というものについて、演出の村川さんは、あらゆる《イプセンの「人形の家」的》な言説から脱出することや、演劇を上演するということからの脱出などについて語り、それは演劇が持っている制度や、《分厚い力(太田省吾)》などから外に出るということが目論まれています。


 稽古風景  (稽古場ブログ:「3/11 represent」より)

つまり、私たちは

     フェミニズム、古典テキスト、金銭問題など、様々に容易く語る事が可能になってしまう、そして語り直され続けてきた「人形の家」と呼ばれるものの枠組み

     それを上演するための「正しい」とされるような方法や、ごく当たり前に、演劇とはこのように行われるだろうという認識

     放っておけば劇は《劇的》にむかってしまう、という劇的素材と劇的方法によって出来上がる構造


     「演劇ができるようになる」というための、新しい訓練の場所としての場所を構築するために、俳優修行、つまり「演技ができるようになる」という場所


以上の4点から、私たちは《外》に出ることを、イプセンの「人形の家」を通じ、目論み、実践しようとしている、ということが今回の趣旨、というか、このブログで《制度》とか《関節外し》とかいう言葉で書いてきたことを一回まとめるとこんな感じになるのだと思うのですが、佳境に差し掛かる稽古場では、そういったコンセプトをさらに超えるような、それこそ、自分たちで考えたことからさらに《外に出る》ことを目論むような稽古が、日々進んでいるのでした。


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