2015年3月5日木曜日

2015/3/4 これは私が書いたのか?


梅毒に侵されたスウィフトが、病床でガリバー旅行記の音読を聞きながらそう言ったと伝えられているのですが、少なくとも書店で売られているガリバー旅行記には作者:ジョナサン・スウィフトと書かれてはいるのです。


とはいえ、自分が書いた文章なんかあっという間に忘れてしまう、とスウィフトとは次元が全く違うのですが、ここの記事で「12/10 女はみんな生きている」という記事の中でヴァギナモノローグについ
て書いていたことを忘れていたまま、この前の記事(2015/2/4 「       」)にて思わせぶりにそれのタイトルを引用したりして、私が書いたにもかかわらず、まったく覚えちゃいない、ホントに自分が書いたんだっけ? とスウィフトに比べて非常に小さな慎ましい規模で共感をしてはいるのですが、前回の記事からかれこれ1ヶ月も経っているのは、このブログの書き手が怠慢だったわけではなくて、なんやかんや、あれやこれやでお休みが続いてしまったからなのです。


そうして1ヶ月のお休みを過ぎて、再び始まった稽古は、人形の家、に帰ってきたのですが、そこで渡されたテキストは村川さんが修正を入れた「人形の家」でした。


イプセンがそれを読んだとき、これは私が書いたのか? あるいは これは私が書いたのに、 と言うかもしれないそのテキストについて、いったいどんな編集がされたのか、ここで全文掲載なんてことはしませんが、ここで全文掲載、なんて事が出来ないからこそ、そこで何が起きていたかを書き辛い! とエクスクラメーション付きで書いたりしてみるのですけど、そこで何が起きていたかなんて書きようがないなあとも思うのは、村川さんが稽古終わりに「喋ってない人は誰なんだ」と自問自答をしていた、そして受講生も応答なし、ということは、誰にもわかっていない何かが起きていた、という事なのかもしれません。



イプセンは人形の家について、いったいどんなつもりでそれを書いたのか、本人に直接聞くことは出来ないのですが、それでもどういうわけか、イプセンの人形の家、と言えば誰しも、色々な注釈に囲まれた制度的な人形の家の中でゆったりと、ああ、フェミニズムの、お金の話で、演劇の、あれだよね、うんうんと物知り顔で幾らでも、人形の家と言う制度の中で説明できてしまうわけですから、随分とわかりやすく要約できる、まだ未発見の謎を作り出していく作業としての数時間は、そんなにわかりやすい人形の家の前で、鍵を失くして途方に暮れるようにして、再び人形の家の稽古は始まったのですが、イプセンが書いたはずの言葉は、村川さんが書き換えて、それを稽古しながら村川さんが「わからない」と言う段階で、一体それは、誰によって書かれた「人形の家」であるのでしょうか。







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