2014年11月22日土曜日

11/19 まだまだ、人形の家

イプセンの事を勉強しちゃったんですよねえ、と村川さんはおっしゃいました。

それというのも、人形の家を始める時に、あんまりちゃんと読んだ事ない、と村川さんは話していて、その後、受講生の皆さんも読んでいない事が分かってから、まあ、それでも何となく上手く稽古は進んでいたのですが、人形の家を勉強してしまったばっかりに、上手くいかない、と村川さんは仰って、それは、人形の家というものが、「ある制度的な場所から自由になる事の話」だといった読まれ方をするのであれば、人形の家を上演するという事は、同時に「制度からの自由でなければならない」のかもしれないという考えがどうやら頭の中で漂っているらしく、その自由とは、きっと最初から村川さんが言っていた「演劇のような喋り方って言うのは何となく出来てしまうんです」というような、どうしても勝手に我々がいつの間にか習得している「それらしさ」にあやかるどころかまるでそれそのものが正解であるかのように思い込まされてしまい、気がつけばそこから抜けられなくなっている「制度」からの自由でもあり、更に村川さんは、人形の家に描かれている事は、ノーラが常識とか通例とかそういったものから自由になるという事なら、この台本を上演する際にもノーラのように自由になる必要があるかもしれない、その自由とは、一般的に人形の家ではノーラが肯定的に扱われているが、ノーラに対して否定的になる事では無いだろうかと話すので、受講生たちがそれに納得していたかどうか、と、言うと、なんとも、?、とクエスチョンマークというかただぼんやりとしていた人が多かったようにも見受けられましたが、結果的にその日の稽古も突飛であるが故に凄く人形の家らしい(だって、ノーラのした事だって、突飛で、驚きに満ちた事でしたから)エチュードで終わったので、こんな風に、たったひとつのテキストに何週にも渡りのめり込んで、教える、と言うよりは、一緒に困る、というスタンスで進んでいくようなこのクラスは、少しずつ、その空気感に馴染みながら、ちょっとずつ、人形の家と格闘しています。

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